星は辺りに雨と降り -6-



***

ライルは目前のホロスクリーンを見つめる。
サバーニャの広大なスクリーンの下部には、何枚ものホロモニターが映し出されている。
そのいちばん端に、スメラギから送られてきた、例の輸送艇の構造図がある。

───これの、格納庫部分だけを撃ち抜けって?

無茶を言う。
それが素直な感想だったが、先代のロックオンが地上から低軌道ステーションの重力ブロックを狙い撃った無茶に比べれば、これはまだかなりマシな部類だろう。
このとんでもなく旧式な輸送艇に乗せられた刹那は、手錠をかけられ、ノーマルスーツも着ていないらしい。
万一ライルの手が滑り、輸送艇のコクピットに穴でも空けようものなら、数十秒で彼は窒息死するのだ。
最悪の場合、彼は太陽炉と一緒に格納庫に詰め込まれているかもしれない。その場合は輸送艇の機体から、格納庫部分だけを無傷で切り離す必要がある。
カットオフは不可能ではない。
幸い、この格納庫は急ごしらえらしく、機体の底部にぶら下げられる格好で外付けされている。

───ったく、幸いもクソもねぇってんだ。

自分で自分の思考にツッコミを入れ、ライルは視線をホロスクリーンの中央に戻した。
白い光点が、小惑星帯に侵入している。
刹那と太陽炉を乗せた輸送艇を示す白いそれは、減速して、スクリーンの中で点滅している。
散らばる小惑星が、断続的に機影と熱源をさえぎっているので、点滅しているように見えるのだろう。
まさか、こんなにもサバーニャに向かない状況で、サバーニャの初陣が消費されるとは。
予想がつかなさ過ぎていっそ笑えてきた。
「ハロ。オートで頼む」
お手上げだ、とでも言いたげに両手を操縦桿から離し、ライルは小さくホールドアップの姿勢を取る。
「リョウカイ、リョウカイ」
「ネライウツゼ、ネライウツゼ」
「こら、まだ撃たねぇよ。オートで照準だけ合わせてみてくれ」
「ウタナイノ?ウタナイノ?」
「バッカ、小惑星ごと乱れ撃ったら太陽炉と一緒に刹那も吹っ飛ぶんだぞ」
「ソレハダメ、ソレハダメ」
「ジャアドウスルノ?ジャアドウスルノ?」
「オートでロックオン、撃つのはマニュアルだ」
「ライフルビットⅡヨウイ、ライフルビットⅡヨウイ」
「ガッテンダ、ガッテンダ」
ハロがもう一個増えた分、二倍騒がしい。
相手の望遠カメラに映らないよう、一定の距離を保って輸送艇を追尾してきたサバーニャは、大幅に減速した。
そして、ちょうどサバーニャの身長ほどの大きさの小惑星に近づき、そこにもたれかかるように、背中を預ける。
「…スラスターで固定してくれ」
「リョウカイ、リョウカイ」
狙撃の反動に備えるため、サバーニャ臀部のスラスターを岩肌に密着させる。
背中を岩肌に預けたまま、サバーニャはふわりと右足を曲げた。
曲げた足裏のツメを立て、蹴りつけるように岩肌に突き刺すと、わずかな振動が、コクピットにまで伝わった。
視界が、ぴたりと固定される。
ライルは操縦桿をつかみ直した。
ホルスタービットから取り出したライフルビットを、サバーニャはゆっくりと構える。
このライフルビットで精密射撃の訓練はしていたが、訓練はいつも対モビルスーツ戦で、ここまで小さな機体を狙撃したことはない。
メメントモリを撃ったあの感覚を思い出そうにも、標的は静止しておらず、ケルディムのスナイパーライフルとサバーニャのライフルビットでは、センサーの構造も、銃身の長さも微妙に違う。
操縦桿のトリガーに指をかけ、ライルはホロスクリーンの中の狙点を見つめた。
真っ赤な照準リングの中で、輸送艇が白く光る。
さらに望遠で光学映像を拡大する。
真っ赤なリングの中央に、輸送艇の底部を合わせる。
底部と外付けの格納庫を繋ぐ、細いジョイント部分に照準が定まり、赤いリングがいっそう赤く輝く。
一ミリでいいのだ。
トリガーにかけたこの指先を、一ミリ上向きに動かすだけで、輸送艇の底に穴が空く。
穴から空気が漏れ出て、刹那が死ぬ。
一ミリなどというみみっちい単位でなくてもいい。
コクピットを後ろからまっすぐ撃ち抜けば、刹那と逃亡犯の身体は秒以下で粒子ビームに分解され、骨も残らない。
もしもそうなったとしても、誰もライルを責めないだろう。
指が滑った、と言い訳しても。
何一つ言い訳しなくても。
故意に撃った、とすら告白しても。
トレミーのクルーたちはおそらくライルを責めない。
いや、フェルトには死ぬまで口をきいてもらえなくなり、ヴェーダにパイロット適性を疑われて、マイスターを辞めさせられる可能性は高いが。

───ちくしょう。

ライルの右手の、人差し指が熱くなる。
それは熱くなったような気がしただけで、本当は冷えているのかもしれない。
小さなトリガーに触れている指の腹の、そのわずかな筋肉には、気絶を誘うほどに熱く、冷たく、重い何かがぶら下がっている。
その重さは憎悪に似ていたが、誰に向けてのものなのかがわからない。
刹那への憎悪なのか。
それとも、自分自身への。

───ちくしょう!

ライルは喉の奥で静かに咆えた。
成層圏の彼方であろうと、この指がどれほど重かろうと、このスクリーンの、真っ赤なリングに捉えられたものは、すべて。
狙い撃つだけ。
「モクヒョウ、テイシマデ、アト五ビョウ」
じりじりと、トリガーの硬さに指をなじませる。
ほぼ限界の距離である光学映像の端で、小惑星のかけらがきらりと太陽光を反射し、赤いリングの中の、格納庫のジョイント部分を照らし出す。
神がかったタイミングだ。
「ヨン、サン、ニ、」
リングの赤と、光の白が交差する、そこへ。
「イチ、」

ハロが言い終わらないうちに、ライルはトリガーを引いた。


***

けたたましいアラートが、格納庫の損傷を告げている。
刹那は目前のパネルを見つめた。
後部のエンジンにも異常が発生している。
輸送艇と格納庫を繋ぐジョイントアームが片方吹き飛ばされ、格納庫は船の底で斜めにぶら下がっているようだ。
非常事態を映すパネルの真ん前を、何かの破片が横切っていく。
数秒前の衝撃で、コクピットの内壁が剥がれたらしい。小さなナットや壁材、壁面に付いていた細長いグリップバーが、こともあろうにコクピット内を浮遊している。
「くそっ…どこのどいつだ…」
隣席の男は、反応の悪くなったエンジンの出力を上げようと、繰り返し操縦桿を傾け続ける。
傷だらけの輸送艇が、ごくゆっくりと加速を始めた時、コクピット真正面の真っ赤な警告パネルが、いきなり雑音と共に歪んだ。
すぐに、見覚えのある緑色のヘルメットがそこへ映し出される。
『よう。今のは警告だ。うちのエージェントを返してもらおうか』
「誰だ貴様!」
『王家のユカリの者、とだけ言っておこうかな。警告に従わない場合は、そっちの格納庫ごと太陽炉をブチ抜くぜ?』
「エージェントがどうなってもいいのか!」
『だから、ブチ抜かれる前に返せって言ってんだよ』
「この、野郎…」
男が声を詰まらせる。
この輸送艇に満足な武装は着いていない。
レーダーはGN粒子の干渉を受け、サバーニャの姿を捉えることすらできない。
ホロスクリーンに映るライルの姿は歪み、消えかかり、また歪みながら現れる。
サバーニャからの割り込み通信すら、満足に繋がらないのだ。
「俺を放り出せ」
刹那は隣の男に呼びかけた。
化け物でも見るような目つきで、男が見返してくる。
「救命ポッドに俺を詰めて、船の外に放り出せ。そうすればもう攻撃は受けない」
「信用できるかぁ!ナメたこと言ってんじゃねぇ!!」
男は操縦桿を握り直し、急加速する。
通信が完全に途切れ、ホロスクリーンは、前方を映す元の光学カメラ映像に切り替わった。
前方に連なる小惑星をひとつ、ふたつと躱して、輸送艇は今できる全速力で空間を走る。
「うわっ!」
三つ目を避けた瞬間に、またコクピットに衝撃が伝わる。
サバーニャに撃たれたのではない。
男の悲鳴を聞きながら、刹那もまた身を縮める。
アラートとは違う音が鳴り、警告パネルの色がグリーンに変色した。
「パージ完了」の表示だ。
「くそ、ぶつかりやがった!!」
叫んで船を停止させ、男は操縦席から立ち上がる。
コクピットの後部に駆け寄る男を追って、刹那も思わず立ち上がった。
外れるはずのないシートベルトすら、破損していた。
「どこへ行く!」
「太陽炉が!オレの、オレのだ!」
男はもはや錯乱している。
さっきの衝撃は、不安定にぶら下がっていた格納庫が小惑星に接触し、この船からパージされた音なのだ。
「外へ出るな!」
手錠のまま、刹那は男の腕をつかもうとしたが、うまく力が込められない。
「うるせぇ!オレの太陽炉だ!ジャマすんじゃねぇ!!」
振り払われ、刹那の身体が操縦席の側面に叩きつけられる。
「行、くな…!」
銃を奪ってでも止めたいのに、手の自由がきかない。
パージされた太陽炉は、もはや破壊されるだけだ。
それこそが、ソレスタルビーイングのミッションなのだから。
ライルは決して狙いを外さない。
「行くな!死ぬぞ!!」
打撲の痛みをこらえながら刹那はもう一度叫んだが、男は後部ドアを開け、さらに船の最後部に繋がる脱出ハッチを目指して、転がるようにコクピットを出て行った。






***

───これが、メインの動力スイッチ。
───これが、姿勢指示器。
───これが、出力調節スイッチ。

停泊中の輸送艇のコクピットで、彼女は一人、操縦機器の目視確認を繰り返す。
もしも刹那がこの低軌道ステーションまで帰ってこれなかった場合、この船を自分で操縦して、フラッグをプトレマイオスに届けなければならないのだ。
広くも狭くもない輸送艇のコクピットは、がらんと薄暗い。
このコクピットシートに一人で座り込んでから、もう一時間くらいは経っただろうか。
膝の上に乗せていた端末が鳴った。
ハッとして、彼女はそれをつかみ上げる。
『…お待たせ。ミズ・ファン、少しは休めた?』
「は、はい!」
小さな画面に映るロックオン・ストラトスの笑みは柔らかい。
『こっちのミッションは終了したぜ。刹那ももうすぐそっちへ着くから安心してくれ』
「ほんとですか!?」
『ほんとほんと』
顔立ちが整いすぎているせいか、彼の笑みは柔らかすぎてゾッとするほどだった。


***

長い事情聴取だった。
やっと警官の詰所から解放され、男は疲労した身体を壁に沿わせるように、ゆっくりと通路を歩く。
聴取の最中に別の警官が割り込んできて、警官同士での密談の後に急に話の潮目が変わり、解放された。
人質を取るような逃亡犯と知り合いである自分を───こんな一介のジャンク屋を、どこの誰が助けてくれたのだろう。
素直な疑問がわいたが、疑問の答えはなんとなく予想できた。
王家に繋がる人間が、フラッグの密売に関わっていたのだ。
バレないように、取引先の怪しさを揉み消すことなど、彼らには簡単なのだろう。
ほんの一時の関わりとはいえ、とんでもない相手にフラッグを売却してしまった。
脱力と安堵が入り混じり、うまく動かない身体を、男はただ前へと運ぶ。
ここが微重力空間でよかった。
地上なら、足が重くて歩く気力も失うところだった。
たどりついたリニアトレインのゲートは、ここへ来た時と同じように、観光客の静かなざわめきに満ちている。
停泊ポートで起きた騒ぎは、このエリアには伝えられていないようだった。
ゲートの手前でたむろする人影の中に、見覚えのある背中を見つけた。
あのセツナと、ファン氏が立っていた。
もちろん彼らは、男を待っていたのではない。
こちらを振り向いた、彼らの意外そうな表情が、とても正直にそれを物語っている。
地上に帰るファン氏を、セツナがここまでガードしてきたのだろう。
あんな非常事態を脱出したばかりだというのに、律義なことだ。
「…無事だったのか」
それはこっちのセリフであるセリフ?を、セツナがつぶやく。
手錠の痕がひどいのか、また別に傷を負わされたのかわからないが、セツナの両手首には包帯が巻かれていて、それがジャケットの袖から見え隠れしている。
「事情聴取は長かったですが。そうこうするうちにあなたが助かったことを警官が教えてくれました。あなたこそ、無事で何よりです」
通り一般の挨拶を述べると、セツナはどこか苦しげに、口元を歪ませた。
「…………ありがとう」
基本的に表情の乏しい青年であるのに、そして彼と出会ったのはほんの数時間前であるのに、その口元の歪みと長い沈黙が、彼の感情を本当に正直に語っているのがわかる。
知り合いだった、あの拾い屋は死んだのだろう。
あるいは捕らえられて、かつ五体満足ではないのだろう。
密談していた警官の口元を、男はふと思い出す。
ほぼ聞き取れなかったが、警官は、確かにあの組織の名前を口にしていた。
「連邦軍は発表しないでしょうが、ソレスタルビーイングが出てきた、っていう情報もあったようですよ」
苦しげだったセツナが、まっすぐこちらを見据えてきた。
「テロリストのくせに、人助けもするんですね。奴らは」
あの小さな、青いパイロットスーツの少年を忘れたことはない。
今でも、肩の傷痕が痛むたびに、全身が冷えるような憎しみが、腹の中でのたうち回る。
子供すらその手先に使う、あの狂気に満ちた組織は、王家の情報網に食い込み、連邦軍の目をかいくぐり、今もこの宇宙のどこかに存在している。
武力介入に明け暮れていたあの少年が生き延びている可能性は低いかもしれないが、それでも、もしも彼が今も生きていたら。
生きて、このセツナを助けてくれたのだとしたら。
今ならほんの少しだけ、彼を許せるかもしれない。
まっすぐこちらを見据えていたセツナは、ふとうつむいて、言った。
「…不思議な、ものだと思う。俺も」

うつむいて角度の変わった彼の瞳は、透きとおるように赤かった。