星は辺りに雨と降り -2-



あとはもう、したい放題だ。
黒いレンズの底で、殊勝にも目を閉じている刹那の舌を吸い上げ、舐め転がし、その柔らかい肉の上下左右を撫でさすってやる。
刹那の吐息が震える。
ライルの腹部のファスナーを握る、刹那の指関節の震えが、ライルの腹筋にダイレクトに伝わってくる。
あまりにくすぐったくて、淫らだ。
刹那の唇を塞いだまま、ライルは刹那の両手首を握り取り、自分の腹から引き剥がした。
引き剥がして持ち上げ、低くホールドアップさせて、手首から刹那をドアに貼り付ける。

───こうやって痛めつけんのもいいけど。

何か、もう少し、リアクションが欲しい。
この男の無抵抗なさまを見ていると、いつも本当にいらいらするのだ。
ライルは、刹那の口の中を探るのをやめた。
唇を、ふと刹那の唇から離す。
離しても、それらの距離はほんの数ミリだ。
震えて乱れる刹那の吐息が、数ミリの距離からライルの唇を湿らせてくる。

───そんなに震えるぐらい、イイってか?

そんなら。
小鳥が餌を探すように、舌先だけでライルはもう一度、刹那の唇に触れた。
濡れて震えているそこを、嘲るように舌先でくすぐって、止めて、またくすぐる。

───イイなら、おまえが来い。

薄目でにらみつけると、その視線を感じ取ったのか、黒く沈んだ刹那の瞳が、小さく見開かれた。
ライルの背に、ぞくりと快感が走る。
サングラスなんか、かけさせなければよかった。
この目を、レンズなしで拝めないのが惜しすぎる。
腹の底の後悔を耐える間もなく、ふ、と新しく途切れた吐息の後で、ライルの唇は至近距離から、ふわりと熱に襲われる。
熱の上に熱を塗り重ねるような、刹那の唇の柔らかさに、ライルの呼吸が半秒止まった。
予想に反してためらいもなく、刹那は舌をライルの口の中に挿し込んでくる。
驚きで歯列を開けるのが遅れたが、かえってきつく刹那に歯列を舐められてしまう。
加減のない強さで、上の歯茎をなぞられる。
ライルの唇の裏の粘膜が、ひきつれて痛んだ。
目をすがめて痛みをやりすごしていると、刹那の舌は方向転換して、上顎の奥へと侵入してくる。
とってつけた、と言うのがぴったりな、そのぎこちない動きに、ライルはくふ、と喉元で息を擦る。

───ヘタクソめ。

もし女が相手なら、つきとばされて泣かれるか、嫌味言われてオワリだぞ。
上唇の裏がまだ痛むのをこらえて、ライルは自分の嫌味を自分の脳内だけに押し込める。
そんなことをしても刹那には思考を読まれてしまうのかもしれないが、読まれようが読まれなかろうが、本当にどうでもいい。
この目前のイノベイターは、対人スキルを磨く気がないのか封印しているのか、とにかく人の心の動きに疎いのだ。
ライルの中に侵入しようと、大きく開かれた刹那の唇から、ちく、と音を立てて唾液が漏れた。
小さな唾液の粒が、キラキラと光りながらライルの頬を横切る。
刹那の舌が、ライルの舌の側面をゆっくりとなぞる。
獣に慣れない子供が、こわごわ飼い犬の背を撫でるようなその動きに、ライルはひたすら焦れた。
焦れて熱くなる身体の底には、どうしても溶けない、氷片に似た何かが沈んでいる。
一筋の溶けない冷たさが、どうしてか更に身体を熱くする。
ライルは目を閉じた。
そのまま刹那の舌に歯を立てる。
「……ぅ、ぐっ!」
うめく刹那の舌を舌で巻き取り、こちらへと吸い上げる。
顔を背けて、刹那が何か言いかけた。
「…っ、…ラ…、」
名前など呼ばせない。
「ライ…、ぅ…」
制止など許さない。
刹那の鼻梁からサングラスがずれたのか、キシ、とレンズ脇のネジがきしむ音がした。
頬に温かい水滴がまとわりつく感触がある。浮かんだ唾液の粒は、もう誰のものかもわからない。
目を閉じた闇の中で、ライルは噛み潰さんばかりに刹那の舌を絞め上げ続ける。
刹那の足の間に片足をねじ込むと、不自然に硬い感触が腿に伝わってきた。
膝を曲げて硬いそこを擦り上げてやる。
捕まった魚のように、刹那の全身が震えた。
「……正直なカラダだな?」
やっと唇を離してつぶやいてやると、ずれたサングラスの下で、本当に不自然に、刹那のこめかみが赤く染まっているのが見えた。

───休憩は終わりだ。

終わりだが、自由時間はこれからである。
「もっと正直なカラダにしてやるよ」
言うなりライルは刹那の鼻梁に指を伸ばした。
ブリッジをつまんで刹那の顔からサングラスをむしり取り、空中に捨てる。
あらわになった赤褐色の瞳は、あきらめと羞恥を複雑に浮かべて、それでも欲で濡れ切っている。
すぐにそこから目を逸らし、ライルは刹那のベルトのバックルに手をかけた。


***

昨日はあまり眠れなかった。
リニアトレインを降り、微重力の中で通路を漂いながら、彼女は黒い前髪をそっとかき上げた。
変装用にかけたフチなし眼鏡のつるに、念を入れたブルーのネイルの先端が当たり、コツンと小さな音がする。
はっとして指先を確認すると、せっかくのネイルには小さな掻き傷がついていた。
大事な仕事の前だというのに。
長い長い、深呼吸のようなため息をついて、彼女は愛用のファイルケースを握りしめた。
低軌道ステーションに来るのは今日が初めてではない。資材調達のために、コロニーで働く宇宙技術者とここで落ち合い、交渉や契約に持ち込む業務はしょっちゅうだ。
だが、今日の仕事はいつもと少し違う。

───『相手はジャンク屋だ。契約時にトラブルがあるようなら、プトレマイオスのクルーに従って、撤退するように』。

上司からは、そう指示された。
モビルスーツの売買は地球連邦によって厳しく制限されている。
最近は、ソレスタルビーイングも、ヴェーダを介して連邦とデータをやりとりしているようだが、まだ連邦にこの組織の全貌を知られるわけにはいかない。
宇宙での武力介入に備えてフラッグが一機欲しくても、連邦の目の届くところで、おいそれと買い物はできないのだ。
だから今回の相手は───フラッグを売却してくれる予定の、交渉相手は───得体の知れない、合法も非合法も兼ね備えたジャンク屋なのである。

───『だからプトレマイオスから一人、護衛を出してくれるそうだ』。

睡眠不足の原因はここである。
なんと、そのフラッグに搭乗予定のガンダムマイスターが、この交渉業務を護衛してくれるというのだ。
その事実を上司から聞かされた時、オフィスは静かに沸き立った。
プトレマイオス艦から最も近いポジションで、資材調達を請け負うオフィスである。ラグランジュの拠点で、ガンダムマイスターと顔を合わせたこともあるメンバーも、わずかながら存在する。
そのわずかな情報によれば、かつてのマイスターは男性が三人、女性が一人で、アロウズとの戦闘によって現在は男性二人に減り、その二人がちょっとないくらいに容姿が整っているというのだ。
同じソレスタルビーイングのメンバーであっても、武力介入の実行部隊、すなわちプトレマイオスクルーのプロフィールは、謎に包まれている。
彼らは、気の遠くなるような適正テストと訓練をくぐり抜けた、ソレスタルビーイングの象徴だった。
その、象徴の中の象徴であるガンダムマイスターに直接会えるというのだから、オフィスの女性はもちろん、男性までもが、今回のこの仕事を引き受けたがった。
だが、ジャンク屋との交渉にあたり、こちらの身元もそれなりに偽らねばならない。王留美亡き後もかろうじて協力関係にある、王家の系列企業の名前を借りることにしたものの、オフィスのメンバーの中に、チャイニーズ系を名乗れる容姿の持ち主はほとんどいなかった。

───お母さん…ありがとう。

東南アジア出身の母親に、彼女は心から感謝を捧げる。
三十歳にもならない彼女に、危険を伴うこの業務が振り当てられたのは、彼女が低軌道ステーションでの交渉業務に慣れていることに加えて、母親譲りの黒髪の持ち主だったからだ。
あたりまえだが今回の仕事の目標は、フラッグを購入し、フラッグをプトレマイオス艦に引き渡し、無事に地球のオフィスに帰還することである。
わかっていても、どこかしら浮かれたこの緊張は解けない。
無駄にざわめき続ける胸元でファイルケースを抱きしめて、彼女は通路の出口でふわりと足を下ろした。
通路の果てにひらけているのは、旅行者たちが思い思いに時間を過ごす、広大なラウンジだ。
このラウンジの展望スペースで、マイスターと待ち合わせることになっている。

───『髪は黒。ネイビーのジャケットに、サングラス』。

ついさっきのメールで届いたマイスターの外的特徴は、それだけだ。
身長も、顔立ちも、人種も、ヘアスタイルすらもまったく不明である。
ラウンジをざっと見渡しても、楽しげな学生グループがソファの一角を占領し、その向こうの展望スペースでは、何組もの家族連れが窓に張り付いて宇宙空間を眺めているだけで、それらしい人物は見当たらない。
もう一度メールを確認しようと、彼女はファイルケースからスティック状の端末を取り出した。
端末の指紋認証ボタンに指をかざし、手のひらの上で小さくホロスクリーンを展開したとたんに、耳元に声が降る。
「ファン・シェンイーか?」
背後からコードネームを呼ばれて、彼女は小さく悲鳴を上げた。
反射的に身体をひねると、微重力ゆえにその身体はふわりと後ずさり、流れていってしまう。
声の主が、がっしりと二の腕をつかんできた。
そのまま引き寄せられ、再度の悲鳴を飲み込みながらかろうじてバランスを取り戻し、彼女はラウンジの床に足を下ろす。
頬にふわりと、赤いマフラーのようなものが触れる。
乾いた砂ぼこりのような、独特の布の匂いに、ふと胸が詰まった。
顔を上げると、黒髪のすらりとした青年が、赤いマフラーを首元にたくし上げながらこちらを見下ろしていた。
「驚かせてすまなかった。刹那・F・セイエイだ」
黒いサングラスが、ラウンジの照明を反射して鈍い碧色に染まり、こちらを見つめてまた、黒に戻る。
男性にしては細い顎に、上品に収まった小さな唇。
そこからこぼれてくる声は、唇の上品さに似合わず、不気味な低さを保っていた。