星は辺りに雨と降り -1-



どう見ても子供だった。
「エクシアから離れろ」
子供は、ほんの数メートル先から、こちらに銃口を向けてくる。
青いヘルメットのバイザーにはスモークがかかっていて、子供の顔は見えない。
その小さな身体と、青いパイロットスーツには見覚えがある。
アザディスタンとかいう国の、王宮の真ん中に現れた、青いガンダムに乗っていたアイツだ。
あのガンダムパイロットの映像は、何ヶ月も前から、嫌になるほどテレビやネットワーク上で繰り返し流されている。
世界中を震撼させたモビルスーツの、パイロットの生身の姿が、カメラに捉えられたのは初めてだったからだ。
そいつが今、この小さな格納庫の片隅で、何発もぶっぱなしたあげく、こちらに銃口を向けている。
ボスは真っ先に撃たれて、この重力のない格納庫の天井あたりを漂っている。息があるのかどうかもわからない。
すぐそばの、ワークローダーが出入りするゲートが開けば、その身体はあっという間に、空気と一緒に宇宙空間に吸い出されてしまうだろう。
肩を押さえて、男は歯を食いしばった。
さっき、子供に撃たれた右肩の付け根が焼けるように痛む。
もう銃を握ることはできない。
背中のホルスターに手を伸ばすことすらできない。
やっと、ここまできたのに。
国連軍とソレスタルビーイングの最終決戦は、一ヶ月前に終わっている。
彼らが破砕し合った機体の残骸は、この宙域のそこらじゅうに、まだまだ無数に漂っている。
残骸は宝の山だ。
拾い集めてアングラなルートに流せば、莫大な儲けが得られる。
まして、謎まみれのガンダムの武器の、カケラ一つでも回収できれば、どれほどの高値で取り引きされることか。
そのガンダムの、センサー機器が結集しているであろう頭部を、やっと手に入れたのに。
二日前にこの宙域を漂っていたのを、偶然見つけたのだ。
プラズマソードででも斬られたのか、ちぎれたその頭部は右顔面が完全に吹き飛ばされ、顔面のアンテナらしき突起も真っ二つに折れていたが、間違いなくガンダムの頭部だった。
これを、売り払えば。
金が手に入るのに。
運搬のためにその頭部は黒い簡易ネットにくるまれている。そのネットの間から、ガンダムは───いや、子供の言うところの「エクシア」は───たった一つ残った巨大な目をのぞかせている。
見たこともない形のカメラアイは、まだ稼働するのならば、貴重な機器情報となる。
世界中のジャンク屋が、このカメラアイを、喉から手が出るほど欲しがっているというのに。
「エクシア」にすがるように寄り添い、男は血に濡れた手で、簡易ネットを握りしめる。
「離れろ!でないともう一度撃つ!!」
子供が、低く叫んだ。
助けは呼べない。
秘密の拡散を抑えるために、元々ボスと二人きりで、このガンダムの残骸を小型艇まで運ぶ予定だったのだ。
子供がカチリと銃を構え直す。
男の脳裏に、妻の顔が浮かんだ。
妻は妊娠していた。
今死ぬわけにはいかないのだ。
男は「エクシア」を包むネットから手を放した。
靴底の磁石とくっついていた床を蹴って、「エクシア」と子供から後ずさるように遠ざかる。
子供はもう一発、威嚇的に発砲したかと思うと、「エクシア」の額あたりに足をかけて跳躍し、天井近くを漂っていたボスの身体をこちらに向けて乱暴に突き飛ばした。
「そいつを連れてここから出ていけ」
漂ってきたボスの身体にぶつかり、男の身体も格納庫の入り口に向かって押しやられてゆく。
肩の痛みをこらえながら入り口のドアを開け、男はボスを先に通路へと押し出し、格納庫の外に出た。
断腸の思いで閉めたそのドアの向こう側で、ゲートが開く音がする。

宇宙に向けて開かれたそのゲートから、「エクシア」の頭部は、ソレスタルビーイングに還っていったのだ。


***

「エージェントの護衛?おまえが?」
パイロットスーツのファスナーをだらしなくヘソまで押し下げ、大きく開けた胸元もあらわにミネラルドリンクを飲みながら、ライルは刹那に声をかけた。
ライルの居室の入り口で、開けたドアも閉めずに突っ立っている刹那が答える。
「トレミーはこれから、低軌道ステーションへ向かう。そこでエージェントと落ち合う予定だ」
トレミーは今、サバーニャの訓練のために、ラグランジュ3から遠く離れたこの宙域に停留している。
サバーニャの膨大な武装のすべてをテストするには、相当の時間と、気の遠くなるような広さの宙域が必要だった。小惑星群を避け、連邦軍やコロニー居住者の目を避けるには、ラグランジュ点からもかなり離れる必要があった。
その広大な宙域で、何度目かの砲撃シミュレーションを終え、ぐったりと自室のベッドに座って水分補給をしていたら、相変わらず空気を読まない同僚が、ライルの部屋にやってきたのだ。
地球の低軌道ステーションに向かうといっても、もちろんトレミーをそこに横付けするわけではない。
ステーションから少し離れた宙域にトレミーを留め、そこから小型艇を使って、輸送艦を使うほどでもない小規模な補給物資を運んだり、地上で休暇を取るクルーを送迎したりすることは、これまでもよくあった。
今回は、その低軌道ステーションでの護衛ミッションだというのだ。
「なんでおまえが護衛なんだよ。そんくらい他のヤツに任せりゃいいだろ」
「エージェントが接触する相手の身元が保証できない。交渉の最中に何かあった場合は、エージェントをトレミーで保護しなければならない」
「どんなやべー取引先なワケ…」
「介入行動のカモフラージュのために、モビルスーツを購入することになった」
「え…それって」
「横流し品のフラッグだ。売る方もまともな業者じゃない。エージェントを一人で交渉に行かせるわけにはいかない」
「…おれ達がフラッグに乗るってか」
「おまえはサバーニャの訓練に集中してほしい」
「おまえ用かよ」
「ああ」
「ダブルオーの新型はまだなのかよ…」
「…あと何ヶ月かかるかわからない」
「苦労だなァ、おやっさんも。はーいはい了解。じゃ、気をつけてな。ステーション土産は要らねぇぜ」
ライルが話を終わらせても、刹那はその場を動かない。
そもそもこんな内容の話は、端末の通信を使えばすむことだ。
通信すら要らなかったかもしれない。ライルは護衛ミッションに参加するわけではないのだから。
自室での貴重な自由時間を急襲された理不尽に、ライルはベッドに腰かけたまま、ドリンクの容器をくしゃりと握りしめた。
硬い容器がわずかにへこみ、ストローからふわりと一粒、ミネラルドリンクが押し出される。
唇で音を立ててその一粒を吸い上げ、これ見よがしに飲み込んでから、ライルは容器を握った腕を上げて伸びをした。
「…で?護衛に行くからなんだって?行ってきますのキスでもしてぇの?」
微動だにせず突っ立っている刹那の、まつげが揺れた。
「違う」と即答してこないということは、このくだらない皮肉が通じたのか、まさかのキス希望なのか。
半月前のハルートのテストで倒れて以来、ライルは刹那に触れることなく、微妙な距離を取っている。
あの時、途中までライルが誘導したとはいえ、初めて刹那からキスをされて睡眠もままならず、バイタルチェックにひっかかったライルは医療カプセルから出るのが一日遅れた。
カプセル治療の最終日に、この世の終わりのような顔をして刹那は医務室に現れたが、睡眠の邪魔だとカプセル越しに嫌味を言ったら、彼は素直に部屋から出て行った。
その翌日の刹那の顔は忘れられない。
カプセルから出て、ライルが廊下を歩いていると、向かいから歩いてきた刹那は見たこともない顔をしていた。
あの表情を、なんと表現したらいいのだろう。
幼児のような。
少年のような。
苦労性の、どこかの母親のような。
度が過ぎた歓喜をこらえる、どこかの父親のような。
諸々が入り混じったあのまぶしさを、まぶしさという言葉だけで表現するのは違う気がする。
しかし、それ以上の言葉が思いつかない。
以来、マブシサの後遺症のように、ライルは刹那と顔を合わせるたびに、ひとこと余計な軽口を叩いてしまうのだった。

───『だめよ。ライル』。

ライルの中に棲む彼女が、ライルの耳元で笑う。

───『あなたの悪いクセね』。

そんなことは。
認めたくない。
自覚なんか、したくもないのに。
ライルのあらゆる感情を、彼女はきちんと理解している。
目の前の、この奇妙にマブシイ同僚よりも、ずっと。
そして今日も、ライルに余計な軽口を叩かれたこの同僚は、ライルの部屋の入り口で突っ立ったまま、ふと視線を伏せる。
「護衛の最中に、あまり顔を見られたくない。サングラスか何か、持っていないか」

───はぁ。そういう用件かよ。

一番最初に言えばいいことを、長い説明の一番最後に持ってくる刹那の生真面目さにうんざりしながら、ライルは老人のように腰に手を当て、ゆっくりとベッドから立ち上がった。
アニューの幻影は、まだライルの耳元で笑っている。
どうにもしかたなく、ライルは彼女に従う。
「サングラスねぇ…持ってるこたぁ持ってるけど、サイズが合わねぇかもよ?」
「合わなければあきらめる」
「どのへんに入れたかなー。最近地上に降りてねぇからな~…」
持っていたミネラルドリンクの容器をぽいと空中に捨て、壁面のコンテナをあちこち開けてはのぞき込み、すぐ閉めて次のコンテナを開け、ライルはひとしきり私物をかき回す。
ようやく見つけたそれの、黒いレンズ部分をすいと眼前にかざして、傷と汚れの有無を確認してから、ライルは刹那に向き直った。
「ほら。かけてみろよ」
とん、と床を蹴って靴底の磁力に逆らい、刹那のそばにふわりと降り立つと、ライルは両手でサングラスのつるを持ち、刹那の顔にそれを近づける。
刹那が、わずかにとまどって目をしばたいた。
その困った目が面白くて、ライルの口の端が持ち上がる。
真正面から、ライルは刹那にサングラスをかけてやった。
サングラスのつるから手を離すついでに、刹那の両頬を両手のひらで挟み込む。
腕の中の同僚に、あまりサングラスは似合っていない。
レンズの形が細長すぎるのか、それともソレスタルビーイングの制服が、サングラスとは縁遠いデザインであるせいか。
「どうだ?」
刹那の両頬を捕らえたまま、ライルはサイズの具合を尋ねる。
「たぶん……大丈夫だと、思う」
黒いレンズを透かした刹那の目は、ライルを見つめていない。
珍しいこともあるものだ。
真正面からぶしつけに見つめられて、先に視線を逸らしてしまうのは、いつもライルの方であったのに。
小さく驚くライルの目前で、真っ黒に沈んだ刹那の瞳が、ようやくゆっくりと動いてこちらを見た。
「すまない。何か、礼がしたい。欲しいものがあればエージェントに頼んでおくが…何かあるか」
生真面目も、ここまで来れば立派なものだ。
同僚から気軽にモノひとつ借りられない刹那の律義さは、ライルにとって当然で、意外で。
そして、胸苦しいほどに哀れだった。

───マイスターが、そんなツラしてんじゃねぇよ。

哀れんでも、哀れまれても、不愉快を通り越して、軽く吐き気がする。
ライルは両手で、刹那の顔をぐいと引き寄せた。
ふらついた刹那が一歩、こちらに踏み込んでくる。
その隙に、ライルは片手でドア脇のスイッチを乱暴に叩いた。
刹那の背後で、部屋のドアが閉まる。
まだ片手で捕らえたままだった刹那の頬が、ライルの手の中でかすかにこわばる。
こわばったその頬を、ライルはまた両手でがっしりと挟み込み、上向かせた。
「あのなぁ。人にものを借りた時は、『すまない』じゃなくて『ありがとう』って言うんだよ」
黒いレンズの中で、刹那の目が瞬いた。
瞬いてすぐに、唇が開かれる。
「……ありが、」
その声をねじ切るように、ライルは唇で刹那のそこを塞いだ。
閉じかかった刹那の上唇をすばやく甘噛みして捕まえ、口と歯列を無理やり開かせる。
一気に舌を挿し込んで、上顎の粘膜を大きく舐め上げてやると、ふいを突かれたせいか、かは、と刹那の喉の奥が鳴った。
腹部までいっぱいに下げられていた、ライルのパイロットスーツのファスナー部分を、拒否とは違うぎこちなさで刹那が握りしめてくる。

───ちゃんと抱きついてこい。バカ野郎。

腹を立てながら一歩踏み込み、ライルは刹那を閉まったドアに押しつけた。