沈黙の名前 -6-
───撃ってやろうか。
その感情は、ライルの身体の中で前触れもなく牙をむいた。
不自然にドアの向こうで停止した足音に緊張感をそそられ、携帯端末だけ身につけて銃を片手にドアスコープのレンズをのぞいてみれば、そこに映るのは、ついさっきロビーに置き去りにしてきた刹那だった。
萎え果てた緊張感をかなぐり捨てた後にわいてきたのは、まさに凍りつくような、目の前の酸素すら歪むような、殺意だ。
そんなに哀れに見えたのか。
このおれが?
全身で拒否してもまとわりついてくる刹那のあの視線を、あの要らぬ気遣いを、このドアごと、ドア向こうの刹那の身体ごと、この銃で弾の続く限り撃ち抜いてやれば、気が晴れるだろうか。
喉を震わせて吸気し、ライルはドアから二歩下がった。
下がって、ドアに向けて、まっすぐ銃を構える。
銃口とドアの距離は数センチ。
豆粒サイズの小さなドアスコープの少し下を狙えば、ドアを貫通した弾は確実に、刹那の胸元に食い込むだろう。
ドア向こうの刹那がその場に崩れるところまで、思い浮かべて。
ライルは震える息を吐いた。
左手で口元を覆い、銃を下ろす。
口元を覆っていないと、叫び出してしまいそうだ。
無駄とは思いながらも、吐息が唇に擦れる音すら、掌で押さえつけて静寂を保つ。
イノベイターは脳量子波を使って、遠くの人間とも感情のやりとりが可能だという。それならば、この叫びにならない叫びも、ドアの向こうの刹那には十分すぎるほど伝わったことだろう。
───おれがおまえを撃たないのは。
おまえを許したからじゃない。
おれはおまえを許せないから。
おまえを許せないおれを、おれは許せないから。
だから。
口の中に鉄の味が広がる。
唇を手で押さえつけすぎて、唇の裏側が切れたらしい。
血と一緒に吐き気も飲み込み、ライルは肩で何度も息をついた。
ひときわ深く酸素を取り込んだ後で、もう一度ドアスコープをのぞく。
まだ立っていた刹那が、こつりと足音を立てて戻ろうとした。
反射的に、ライルはドアの開錠パネルに手を伸ばした。
のこのことライルの部屋にやってきた刹那は、自分からやってきたくせに、この部屋の中でどうしていいかわからないという顔をして突っ立っている。
本当に面倒くさい。
ライルの身体の底に溜まっていた殺意は、正体のわからない熱に一瞬で茹で上げられて、ぐずぐずに崩れようとしている。
右手に銃を持ったまま、ライルは刹那を抱き寄せた。
抱き寄せたまま、いま閉めたばかりのドアに、けだるく背中を預ける。
刹那は抵抗しない。
ライルが刹那の後頭部に手を回し、髪に指を差し入れても、刹那はじっとライルの肩口に顔をうずめたまま、動かない。
やはり「そのつもり」で来たということか。
───で、決心つかなくて、ドアのチャイムも鳴らせなかったってか?
それとも、おれに銃を向けられて、潔く死ぬつもりだったか。
鼻先をくすぐる刹那の髪の匂いを深く吸い込み、ライルは目を閉じる。
たった半日前にも嗅いだ匂いなのに、ひどく懐かしく感じるのが可笑しい。
人間の心というものは奇妙なくらい丈夫にできている。
ありえない形に変容した自分の心を、ライルは口の端で嗤った。
つい数十秒前には、今握りしめているこの銃で、この腕の中の刹那を撃とうとしたというのに。
そして今、この銃口を刹那に向けても、きっと刹那は抵抗しないのだろう。
いつかの夢で見たのと同じように、刹那は目を閉じて、人馴れした獣が人に撫でられるのを待つように、銃弾が自分の身体に食い込んでくるのを待つのだろう。
「で?何の用事?」
「コートを返しに来た」
後生大事に刹那が抱えているそれは、今はライルと刹那の胸元にきゅうくつに挟まれている。
刹那の片手がコートでふさがり、それが刹那とライルの身動きを妨げて、とても邪魔だ。
「…ああ。わざわざサンキュ」
必要のない質問に答えてくれた刹那に、必要のない相槌を打って、ライルはますますきつく刹那を抱きしめた。
セーフティをかけた銃を広大なダブルベッドに放り投げて埋め、ライルは背後の刹那を振り返る。
「シャワーどうする?時間節約して一緒に浴びるか?」
「わかった」
まるっきり冗談のつもりで言ったのに、真正面から答えを返されて、二の句が継げない。
「どうした?」
「いや…もうちょっとこう、こういう時はなんていうか…、」
「都合が悪いならおまえの好きにすればいい」
「…………するよ。来い」
刹那の従順さに、身体の奥がカッとする。
その熱は、肉欲と言うよりは、やはり殺意の残り香だ。
バスルームに引きずり込んでから、刹那の胸倉をつかみ上げ、ライルはそこに巻きついていた刹那のターバンをひき剥がした。
「脱げよ」
落ち着かないほど広大な大理石の洗面台に、剥がした白いターバンを放る。
刹那は表情も変えずに腰のサッシュを解き、自分のシャツのボタンを外し始めた。
自分の部屋で着替える時とまったく変わらないであろうその落ち着いた動作に、ライルの方が息苦しくなる。
ライルは手袋を外し、まとめてそれを、さっき放った白いターバンの上に投げつけた。
刹那がボタンを外しきるのを待たずに、刹那の胸元に手を伸ばす。
脱げかかった刹那のシャツを肩から背中へ引きずり下ろすと、パチ、と硬い音が床へ飛んだ。
ボタンがちぎれたらしい。
冷たい石の床を遠ざかってゆく小さな落下音にかまわず、ライルはむき出しになった刹那の肩をつかみ寄せた。
立ったまま、その胸元へ唇を寄せる。
乳首に噛みついてやると、刹那が小さく息を飲み、身体を固くする。
ようやくの反応に、わずかに溜飲を下げ、ライルはことさらゆっくりと乳首に歯を立てて、そこを繰り返し扱いた。
刹那の吐息が断続的に乱れる。
そのたびに、ライルの顎の下にある刹那の腹筋までが震え、断続的な振動が、ライルの喉元にまで響いてくる。
あの、何事にも動じない刹那が、身体を震わせている。
からかっても、たしなめても、罵倒しても、殴っても、銃を向けてさえも動じない、自分なぞいつ死んでもそれが当たり前だと信じ切っているようなこの男が、ライルの舌の動きに合わせて、震えている。
───べつに、初めてでもねぇんだろ。
同僚を憐れんで、慰めてやると言わんばかりにのこのこ部屋にやって来るようなヤツが、「バージン」なはずがない。
刹那の過去の相手など、あまりに簡単に想像がつきすぎて、こちらがめまいを起こしそうだ。
しつこく乳首を口の中で転がしながら、ライルは刹那の下半身に手を伸ばす。
下衣をこじ開けてそこに手を差し込むと、よろめいた刹那の腰が、背後の洗面台にぶつかった。
「…しっかり立ってろ」
命令すると、刹那は自分が押しつけられている洗面台の縁を、後ろ手で握りしめる。
こいつはどこまで素直なのか。
刹那とのこれまでの経緯を考えれば、その素直さはどうしてもしかたがないものであるはずだったが、その「しかたなさ」に浸かっている刹那の、裏を返せば鋼鉄のような頑なさが、ライルの意識を焼き砕くような勢いで打ちのめしてくる。
どんな感情をぶつけても、刹那はただそれを受け止め、飲み込み、沈黙するだけだ。
刹那は何も表明しない。
刹那はライルに何の感情もぶつけない。
ライルの質問にも答えない。
答えたくないなら何か適当に嘘でもつけばいいのに、嘘すらつかない。
人間は進化を続ければ、究極に進化したなら、どんな恐ろしい感情も受け止めて飲み込んで、涼しい顔をしていられるものなのだろうか。
───そんなバカなことが、あってたまるか。
イノベイターがなんだってんだ。純粋種だろうが作られてようが、食って寝てクソして、ムカつけば怒って嬉しけりゃ笑う、同じ人間だろうが。
ほぼ全裸にした刹那の上半身を、ライルは洗面台に押し倒した。
さらにその足をすくうように持ち上げ、刹那の半身を洗面台に横たえる。台の斜め奥へと押しやられて、奥の壁面と一体になった鏡に刹那が頭をぶつけたが、どうでもいい。
高く持ち上げた刹那の足に絡まっていた下衣を下着ごと引き抜いて捨て、そこを大きく開かせる。
驚いたことに、足の間のそれはもう勃ちかかっていた。
たったあれだけの刺激で。
───この、淫乱が。
唇の裏までこみ上げてきた罵りを飲み込むと、それはライルの身体の中で吠え狂い、視界が歪むほどの熱をライルの眼球に伝えた。
何をどうしていいか、まったくわからない。
吐息を少しでも抑えようと、刹那は自分で自分の手首に歯を立てた。
次に何をすればいいか、一から十まで命令してくれればわかりやすいのに、ライルは刹那の身体に触れ続けるだけで、何も言わない。
ライルの感情を読み取ろうと努力すればできるのだろうが、感情に踏み込まれた時のライルの怒りを思うと、刹那の思考には、自動的にブレーキがかかってしまう。
鏡にぶつけた頭の痛みがようやくゆるんでも、硬い大理石の洗面台に擦れる背中の皮膚は、冷たさに縮み上がる。
ライルは刹那の喉にゆっくりと唇を滑らせている。その、狙ったように緩慢な動きの合間にペニスをつかまれ、息が止まりそうになる。
「……っ、…!」
乱暴にそこを扱かれて、目もくらむ痺れが背筋から駆けのぼってきた。
とても目を開けていられない。
だが開けていなくてはならない。
次に何をされるか、可能な限り視覚で予測して身構えなければ、セックスの苦痛は軽減できない。
バスルームの照明に目を刺され、視界が夕焼けのような色で滲む。
ペニスの先端近くを指先で挟み込むように圧迫され、水音が立った。
「…っ…ぅ…」
分泌された液体で滑りが良くなり、速くなるライルの指の動きに、目の前でオレンジ色が明滅する。
鎖骨を噛まれて、頭の芯まで痺れる。
耐えきれずに、刹那は残った片手で壁面の鏡に爪を立てた。
鏡のそばに備え付けられていた何かの小瓶が倒れて、澄んだ甲高い音が鳴る。
「すげー濡れてるぜ。刹那」
嘲るように耳元でささやかれて、ただ吐息をこらえる。
とても言葉を口に出せる状況ではない。
「腕噛まなきゃなんねーほど、感じてるわけ?」
ライルは刹那の腕を容赦なくつかみ取り、洗面台に押しつけた。
刹那の顔面を覆うものが何もなくなり、突然ライルの吐息が近くなる。
碧色の目が、もう逃げ隠れのできない距離で、こちらを見下ろしてくる。
「素直に声ぐらい出せよ。今さら恥ずかしいもクソもねーだろ」
声は出せない。
声を出せば、相手は余計に興奮して、動作が荒くなる。
悲鳴など上げようものなら、殴られるか嬲られるかの二択になる。
ライルが「神のために戦う大人たち」とは違う人間であることはわかっている。だが、それでも身体は反射的に、覚えている限りの防御を尽くそうとするのだ。
その本能的な防御を、何かが食い破ってくる。
それは、自分の身体の底から湧いてくるものなのか、それとも、熱を帯びたライルの身体や感情から吐き出されてくるものなのか。
刹那にはわからない。
もう一度乳首を噛まれ、下肢にまではじけた痺れに、腰が跳ねた。
跳ねたそこを押さえつけるように、後孔へとライルの指が滑り下りてゆく。
「ここ、なんか塗った方がいいんだろ?いつもナニ使ってんの?」
孔のつぼまりをくちくちと撫でられて、危うく声が漏れそうになる。
この行為に慣れていることを前提に質問され、こんなにせっぱつまった状況なのに、胸の奥が焼けるように痛んだ。
こんな感覚は知らない。
こんなにも自分の身体がコントロールできない、こんな感覚は。
「…なんか言えよ。いつも何塗ってんの、ここ」
「っ、…!」
つぷりと浅く後孔に指を立てられて、身悶えた。
「……入、浴用の…バイ、オ、セラミド系、なら」
必死につぶやいた言葉は、なんとかライルに通じたらしい。
刹那に覆いかぶさったまま、ライルはさっき散らかった小瓶の群れを探り、半透明のクリームを選び出した。
すぐに冷たい湿り気が後孔の周りに塗りつけられ、ライルの指がゆっくりとそこにめり込んでくる。
狭い肉壁を擦る、覚えのある感触に、ついに刹那は小さく声を上げた。
ようやく気づいた。
絶え間なく全身を襲ってくるその痺れは、快感だ。
ひときわ深く指で後孔を探られて、刹那は呻く。
探る指の数を次々に増やされて、息をつく暇もない。
ライルはすぐに後孔への愛撫に慣れた。
深く埋めた指先をせわしなく曲げて一点を撫でるかと思えば、その次には指全体を肉壁に這わせるように動かして、その部分の筋肉を内側から緩めにかかってくる。
「…ぅ…ぐ、…っ、うっ…」
そのまま一定のリズムで指を出し入れされると、熱と痺れが全身を駆けめぐり、形のないそれらに、身体を食いちぎられそうな恐怖をおぼえる。
ずぶ、と急に指を全部抜かれて、鳥肌が立った。
「腕、噛むな。ここを握ってろ」
いまいましげにため息を吐いて、ライルは刹那の腕をつかみ上げ、自分の肩へと誘導する。
「離すなよ」
ライルにしがみつくような姿勢を取らされて、刹那は思わずライルの胸元から顔を背けた。
背けた先の、至近距離の鏡に自分の顔が映っているのが見えて、絶望のあまりに目をきつく閉じる。
今の今まで、シャツさえ脱いでいなかったライルがベルトを外す音がする。
刹那の両足を、ライルは膝裏から持ち上げた。
すぐに後孔が粘ついた水音を立て、ずくり、と大きなものがそこに押し入ってくる。
「………ぁ…っ…」
喉の底から突き上げられるような圧迫感が、痛みと共に刹那の脳にまで駆け上がる。
過去の経験が年月の彼方であるせいか、こんなに大きく後孔を広げられるのは、初めてのような気さえする。
刹那の身体に分け入りながら、ライルが長く吐息を漏らした。
漏れた吐息が刹那の耳元にかかる。
もう一度鳥肌が立つ。
さらに奥まで肉壁を広げられて、どうしても小さく声が出てしまう。
それが合図だったかのように、ライルがゆっくりと腰を動かし始めた。
身体の芯が熱く圧迫される。
圧迫がゆるんだ瞬間に、さらに深く突き入れられる。
指とは比べ物にならない刺激に、刹那の喉から短い悲鳴が繰り返しこぼれる。
だめだとわかっているのに、止められない。
目がくらむ。
繋がったまま、急にライルが上半身を起こした。
命令に従ってライルの肩を握っていた刹那の手が、握るものを失って、洗面台の上に滑り落ちた。
刹那の腿を抱え上げて、ライルは腰を刹那の後孔に打ちつける。
「───ぁ、アッ!」
突然深く突き立てられ、その熱さに胸も腹も、脳までも焼ける。
水音が、繰り返しはじけて粘液を散らす。
繋がるそこからこぼれた粘液が背中にまで伝った時、呻くような悲鳴を上げて、刹那は射精した。