沈黙の名前 -7-



どのくらいの時間、そうしてライルに穿たれていたかはわからない。
指先での愛撫と同じように、ライルは一定のリズムでゆっくりと刹那の内壁をかき回し、突き入れているものの大きさをことさら伝えるように、また腰の律動を開始する。
永遠とも思えたその繰り返しの果てに、ライルは刹那の足を抱え上げていた両手を滑らせて、刹那の臀部を握りしめた。
握りしめながら、ライルは上体を刹那の身体の上に投げ出すようにして覆いかぶさる。
ライルの着ている薄いシャツ一枚を隔てて、二人の胸元が重なった。
湿ったシャツの冷たさに、刹那はわずかに震え上がる。
その冷たさを秒でかき消して、すぐにライルの体温が胸元深くにまで染みとおってくる。 
ライルの身体の重みが呼吸の妨げになり、刹那は喉を擦るように数回、咳き込んだ。
その咳にいらだったような、長い長い吐息の後で、ライルが刹那の耳元に命令を吹き込む。
「おれの肩、握ってろ。何回も言わせんじゃねーよ…」
ぎりっ、とライルの手に力がこもり、刹那の臀部がかきわけられるように押し広げられる。
次の瞬間、刹那の最奥を突き通していた肉茎が、さらに奥へとめり込んだ。
「ぅあ…ッ…!」
深く突かれて、引き抜かれる。
抜かれる寸前で、また深く突き上げられる。
「あァァ!」
乱暴に揺すぶられ、たまらずに洗面台を掻いていた指を、刹那はやっとのことで持ち上げた。
指先を惑わせながらも、ライルの肩に再度しがみつく。
密着されたことで動きやすくなったのか、ライルの律動が速くなる。
背中が浮き上がるほど後孔を突き上げられ、内臓も、喉も、思考も、真っ白く焼けただれたように、その実感を失う。
もう、何の抵抗もできない。
幾度目かに刹那の肉壁が震えて、ようやくその最奥へ、ライルの熱が吐き出された。




バスルームで二人、あの後どうやって身体を洗ったのか。
刹那に確かな記憶はない。
洗面台の前でよろめきながら服を着ようとしたところで、バスルームから引きずり出され、ベッドにまで連行されたことは覚えている。
「逃げんなよ。おれが次に目ぇ覚ますまで」
なんとも恐ろしい命令を吐いて、全裸のライルは全裸の刹那を抱きかかえたまま、シーツの奥深くもぐりこんでしまったのだ。




目を覚ました時、時間感覚は完全に失われていた。
何時間眠っていたのかがわからない。
片頬をシーツにつけたまま、うっとうしい前髪をかき上げる気力もなく、ライルはゆっくりとまばたきをする。
徹夜のミッション明けだったうえに、その前日はデュナメスリペアのコクピットでの仮眠しか取っていないのだ。相当深く眠ったことは間違いない。
ベッドサイドのランプはつけっぱなしだ。細い金属の茎を優雅に曲げた先で、ユリの花のようなガラスシェードが、ぼんやり光を抱いている。
弱い光源は、カーテンを閉めっぱなしの部屋を照らしきれない。
鼻先の暗がりに、刹那の顔がある。
ライルがベッドに引きずり込んだそのままの姿勢で、刹那はライルの喉元に髪を擦りつけ、眠っている。
彼が眠っているところを見るのは初めてだ。
覚醒している時よりもかなり顔つきの印象が違う。
いくら成人しているとはいえ、八歳も年下の男だ。もう少しあどけなさが残っていてもよさそうなものなのに、実際あどけなさも残しているのに、そのあどけなさは、見ている者に温かみを感じさせない。
感じるのは、ひりつくような虚無感だ。
あどけなく整った顔に、とてつもなく乾いていて、とてつもなく重い何かが、透明に透けながら、ぴたりと張りついている。
彼が覚醒している時は、彼の意志の力で彼の身体の中に閉じ込められていた、「何か」だ。
刹那が人前でくつろがない理由が、少しわかったような気がした。
ミッションの待機中に、うたた寝すらしない男だ。刹那が目を閉じているところすら、ライルはほとんど見たことがない。
自分の寝顔は自分で見られない。自らが自らでコントロールできない状態に陥ること、それを他人に晒すことを、刹那は極端に恐れているのかもしれない。

───野生動物かよ。ったく。

刹那の経歴を思えば、それはしかたのないことのような気もする。
加えて今の刹那は、ミッションの後にさほど望んでもいないセックスをさせられて、激しく疲労している。刹那の寝顔が険しいのは、半分はライルのせいだとも言える。
眠り込む前の、バスルームでの行為を断片的に思い出して、ライルの下腹部にずくりと熱が灯る。
刹那はセックスに慣れていた。
というか、抱かれることにとても慣れていた。
ライルの動きに合わせて、刹那はごく自然に足をライルの腰に絡め、スムーズにライルのペニスが抽挿できるように、自らの腰を揺すっていた。
慣れていない者にあんな動きはできない。
刹那のその慣れに、ライルはいらだちながらも助けられた。
そして、ひどく感じた。
腕の中のこれは、ニールに抱かれ慣れた身体なのだと思うと、たまらなかった。
女性の中に挿入するのとはまったく違う、あの、とにかく強烈な締めつけに、脳もペニスも溶けるかと思った。

───まずい。

今まで想像もつかなかった、刹那のあの時の嬌声が、耳から離れない。
最初は頑なに声を出すことを拒否していたのに、奥の奥を犯したら、耐えられないというふうに、ようやく声を上げて。

───ほんとにまずい。

この、今も熱を持っている身体は、刹那なしでいられなくなるかもしれない。

───殺したかったのに。

ずっと、何度も、何度も何度もこいつを殺したいと思ったのに。
さっきセックスする直前だって、殺そうかと思ったのに。
この男から、刹那から、快楽だけを絞り取れば、気が済むまでこいつを犯し続ければ、おれはいつか、満足できるのか?
自問の答えは見つからない。
ライルの下腹部の熱が、這い回る爬虫類のようにライルの臓腑をすり抜け、胸元まで、喉元にまで、泣きたくなるような重さで積み上がり、渦を巻き、覚えのある痛みを呼ぶ。

───クズにすら、なれねぇのかよ。おれは。

刹那を殺すクズにも、刹那を犯し続けて刹那の心を殺すクズにも。
なりたくない。なれない、と。
もう、この痛みを、身体の底へ飲み下すことができない。
「………なあ…」
眠ったままの刹那を、ライルは抱き寄せた。
刹那の目が覚めてもかまわない。
噛みつくように、黒い髪の中に唇を埋めて、ささやきかける。

「なあ。なんでおまえは、もう一回おれを迎えに来たわけ?」

赤の他人の双子を、その母親を、永久に悲しませるためか?
そんなことをしてでも、世界を変えるためか?
ソレスタルビーイングを存続させるためか?
おれを、兄さんの代わりにするためか?
おまえが黙っていればいるほど、おれはバカなことを考えてしまう。
おまえが黙っていることが、そのものが、おまえの答えだからだ。
クズにすらなれないおれの答えと、黙っているおまえの答えは、それは、実は、同じなんじゃないのか。
おれは、たぶん知ってる。
おまえのダンマリの、沈黙の、本当の名前を。

刹那の肩がぴくりと動いた。
刹那が覚醒しつつあることを感じながら、ライルは刹那の背中に両手を回し、そこを締め上げるように、力を込めた。




あと十数分で、低軌道ステーションに到着する。
リニアトレインのコンパートメントに、合成ボイスのアナウンスが流れてくる。微重力状態に慣れていない乗客のための諸注意は、いつ聞いても丁寧かつ冗長だ。
シートに座ったまま、刹那はポケットから携帯端末を取り出し、画面を確認した。
特に急を要する連絡は入っていない。
ライルからの連絡も入っていない。この時間まで連絡がないということは、彼は無事に低軌道ステーションに到着しているということなのだろう。
大西洋でのミッションの後に与えられた休暇を終え、宇宙に上がろうという日になって、ライルは急にホテルから姿を消した。
地上に降りる時と同じように、刹那とライルは同じリニアトレインの、同じコンパートメントで宇宙に戻る予定だったのだが、ライルは刹那に断りもなく、先に別便のトレインに乗車してしまったのだ。
本来のシートのキャンセル料も、新たに取った別便のチケット料も、ライルは自費で払ったらしい。その旨だけを記した短いメールが、刹那の端末に届いていた。
刹那が今座っている二人掛けのシートは、片方が空席のままだ。
そこまでするほど、ライルは刹那と顔を合わせたくなかったらしい。

───『帰れよ』。

ライルと寝た翌日、ライルはベッドのそばで着替えながら、ベッドの中の刹那に背を向けて、そう言い放った。
バスルームでの行為の後、勝手に部屋に帰るなと命令したのは、ライルの方であったのに。
帰るな、という命令は「目覚めたらまたセックスを続ける」という意味だと刹那は解釈していたのだが、ベッドの中で目覚めても、ライルは行為に及ぼうとはしなかった。
他人とベッドを共にして、相手が覚醒したのにも気づかないほど深く眠ったのは、初めてだ。
それでも、眠りの中で、ライルの感情を感じ取れたことは覚えている。
はっきりしない刹那の意識の中に滑り込んできたその感情は、皮膚を引き裂くような鋭い衝撃と、熱と痛みに満ちていた。
端的にいえばそれは「苦痛」で間違いなかった。
だが、その苦痛の中には、どこからどう紛れ込んだのか、気の遠くなるような、安堵らしきものも混じっていた。
ライルの胸に抱かれて目覚めた時のあの感情に、刹那は完全な名前をつけることができない。
刹那が目覚めて、身じろいだ瞬間に、ライルは刹那を突き飛ばすようにして起き上がり、ベッドから出てしまった。
そして、部屋に帰れと言ったのだ。
だから、刹那はそれ以上ライルの感情を受け取ることをやめた。
ライルは刹那と寝たことを後悔したのだろう。
心など読まなくても、ライルの行動は十分にその後悔をあらわしている。

───これでいい。

これでライルは必要以上に触れてこなくなるだろう。
そして、快適とまではいかなくとも、ライルは今までよりは気楽に、ソレスタルビーイングで過ごせるだろう。
いや、後悔の感情を拡大して、トレミーから降りてしまうかもしれない。
それならそれでいい。
刹那は携帯端末の画面表示をクローズした。
ライルから届いていた短い文章が、底抜けに真っ暗な、端末の画面の彼方に消え去る。
ライルの心の平穏をひたすら願いながら、刹那は膝の上の端末をポケットにしまい込んだ。
端末を折りたたむ指が震えて、それをポケットにしまうのに数秒の時間を要したが、その理由を考えることを、刹那は放棄した。
一人きりのコンパートメントに、またアナウンスが流れる。
低軌道ステーションに、トレインはまもなく到着する。




どれほど会いたくなくても、現在実働できるガンダムマイスターは、この宇宙に二人しかいない。
そして、低軌道ステーションに停泊させてあるソレスタルビーイングの小型艇は、あたりまえだが一機しかない。マイスターが二人一緒に小型艇に乗らなければ、トレミーや、ソレスタルビーイングの宇宙拠点に帰ることはできない。
数日ぶりに見る刹那は、すっかりいつも通りだった。
顔色も悪くなく、数日前にセックスで酷使した下半身をよろめかせることもなく、慣れたふうに低軌道ステーションの微重力ゲートを通り抜け、通路のベンチに座っているライルの方へ、まっすぐ漂ってきた。
「行こう」
刹那の第一声には、何の感情も感じられない。
ライルは冷たい酸素を肺にどうにか取り込み、ベンチから立ち上がった。
「…小型艇の粒子チャージは?」
「問題ない。長距離航行はできないが、戻れるだけの余裕はある」
「あ、そ」
休暇の間(初日を除いて)、なぜ一度も顔を合わせなかったのか、なぜ一緒に帰りのリニアトレインに乗らなかったのか、刹那はライルに訊きもしない。
そのものわかりの良さに、イライラする。
いや、ものがわかるその前に、ライルのミッション外での行動に、刹那は興味がないというだけのことなのか。
あれだけ地上でこちらに構っておきながら?
自分の行動をまるっきり棚に上げて、ライルはゆるく唇を歪めながら、通路を進む刹那の斜め後ろにつく。
小型艇の停泊ポートへと続く通路が、いつもよりずいぶん長いような気がした。




操縦桿周りの、メインシステムが落とされた小型艇の内部は薄暗い。それでも、慣れた手順でパイロットスーツに着替え、刹那とライルはそれぞれ、艇の最前部の操縦席と副操縦席に着いた。
何の迷いもなく、刹那はそこに座っている。
いつもそうなのだ。
地上に降りる時も、こうして宇宙に戻る時も、ライルが「操縦を代わる」と言い出さない限り、この男はごく当然のように、自分が小型艇を操縦するつもりでいる。
ミッションとして、常に二人でいろいろな役割を分け合わねばならないというのに、自分の方に多く負担がかかることを、刹那はまったく気にしていない。むしろ、負担を多く背負うのは自分であるべきだと思っているようなふしがある。
刹那の四角四面な真面目さに、ライルはもうすっかり慣れている。というよりは、あきらめている。
多くの負担を背負い、それで刹那自身の気が済むのなら、好きにすればいい。
常に人手不足なトレミーでは最近、ライルも操舵を任される時があるのだ。その業務のおつりだと思えばいい。
「ロックオン。ヘルメットを」
言いながら、刹那はさっさと自分のヘルメットのバイザーを密閉し、ライルがヘルメットをかぶるのを待っている。
今ここで、他に誰が聞いているわけでもないのに、刹那はライルをライルと呼ばない。
ごく稀に、ニールが話題に上る時にのみ、会話の内容を整理するためだけに、刹那はライルをライルと呼ぶのだ。

───あんなことまでしたのにな。

他人に言いづらい関係になだれ込んでも、刹那は、ニールと同じコードネームでライルを呼び続ける。
まるで、このコードネームの男に抱かれることが、ずっと前から当たり前であるように。
ライルは、手に持っていたヘルメットを、ぽんと空中へ軽く、放り捨てた。
ヘルメットは加えられた力に従ってライルから離れ、ゆっくりと艇内を漂い始める。
隣りの刹那は、それはそれはいぶかしげな目でこちらを見ている。

───好きに、読めよ。

おれが何を考えてるか。
おれでさえコントロールできない、ぐちゃぐちゃなおれを、おれの心を、おまえは好きなだけ読んで、好きなだけわからないふりをして、好きなだけ、おれと一緒にぐちゃぐちゃになっちまえばいい。
口の端が上がりそうになるのを、ライルはどうにかこらえた。
「刹那。髪にゴミがついてるぜ」
赤褐色の目が、ぱちりとまばたく。
「取ってやるからヘルメット脱げよ」
操縦中に、ヘルメットの中を異物が漂うというのは不愉快かつ危険極まりないことだ。多少の水分ならヘルメットの空調機能でコントロールが効くが、固形物はそうはいかない。
もう一度穏やかにまばたいてから、刹那は自分のヘルメットに手をかけ、自らの頭からそれを引き抜いた。
ゴミがついているなどという見えすいたでまかせに、こんなにストレートにひっかかってみせるこの男は、相変わらず自虐的で、頑なで、人をバカにしている。
ヘルメットを脱ぎ、こちらに向き直った愚かなイノベイターの目は、数日前と何も変わることなく、透き通っている。
血のようにもワインのようにも思えるその色に、針の先ほどの脅えのようなものが透けていると思うのは、考えすぎか。
ライルは、刹那の手からヘルメットを叩き落とした。
とっさに身構えた刹那を許さず、肩を乱暴に抱き寄せる。
叩き落とされた刹那のヘルメットが、刹那の手元のコンソールパネル付近に衝突する。
そのとたんに、薄暗かった艇内に風が吹くように、次々と違う色の明かりが灯り、操縦機器がスタンバイモードに切り替わった。
ヘルメットは動力スイッチに当たったらしい。
とりどりの色の照明を目の端で捉えながら、ライルは刹那の身体を操縦席に押しつけて、刹那の唇を舐め上げ、押し開き、舌で犯す。
こんなに柔らかく、こんなに熱く、こんなに隙もなく湿っているのに、この舌はライルを呼ばない。
この舌はライルに真実を語らない。
憎々しくて蕩けそうなその肉を、ライルは舌で引きずり出し、歯でゆるゆると噛みしだいた。
「…んぅっ…!」
刹那の腰が跳ね、身をよじって逃れようとする。
胸元を押し返してくる刹那の利き腕をつかみ上げ、ライルは親指に力を込めた。
「ぐ、うぅっ!」
繋がった口元から、快楽とは程遠い苦鳴が流れ込んできた。
肘の急所を圧迫された刹那の右手は、痺れてしばらく使い物にならないだろう。
いつだったか、刹那がライルに実践してくれた、効率的な体術だ。
苦痛が過ぎたのか、刹那はきつく目を閉じて、ライルから顔を背けた。
唇と唇が離れ、歯を食いしばる刹那の口の端から、唾液の小さな水滴が、ガラス粒のようにきらめきながらいくつもこぼれる。
そのきらめく水滴を一粒、すいと口で吸い上げて、ライルは抵抗をやめた刹那の唇をもう一度塞ぐ。
何ヶ月かぶりに舌の裏を舐めてやると、刹那は喉の奥で、苦鳴とも悲鳴ともつかない、なんとも複雑な声を上げた。
そのひどく必死な声音に、この場で何度も犯したくなるほどの興奮をおぼえる。
痛みで姿勢を保つことが難しくなったのか、刹那の背中が操縦席の背もたれからずり落ちて、微重力の中、二人の身体は重なりあったまま、ふわりと横倒しになった。
下半身が熱い。
密着性の高いパイロットスーツのあの部分が、たぶん、かなり、取り返しがつかないほど、膨張しているのが自分でわかる。
これ以上刹那に踏み込めば、このどうしようもない身体は、確実に、刹那なしでいられなくなる。
それでも、ソレスタルビーイングに帰らねばならないのだ。
ライルは刹那を抱きしめたまま、刹那の耳に声を吹き込んだ。
「続きは、トレミーに帰ってからさせろ」
聞くなり、刹那が全身を震わせた。
肘の痛みにかすれる吐息も、一瞬だけ途切れて、震える。
わけがわからない。
おせっかいな慰めを、最初に提案してきたのは刹那だ。
今さら、何をそんなに驚いて、何をそんなに脅えることがあるのか。
ライルは思わず腕をゆるめ、刹那の耳元から顔を上げた。
ライルの腕の中で、刹那は目を見開いている。
赤褐色の瞳が、子供のように、果てしない不安に濡れている。
その色が、射殺したいほど美しいと、ライルは思った。
「返事は?」
残忍な問いで、刹那の沈黙を切り刻む。
「………わ…、かった…」
小さな声の小さな語尾を褒めそやすように、ライルは刹那の唇に軽く口づけた。
すぐに唇を離して、起き上がって、艇内に漂う二つのヘルメットを捕獲する。
「ほら」
振り向いて、同じく身体を起こした刹那に、ヘルメットを渡してやる。
下半身事情もあって、ライルは刹那にすぐ背を向けた。
「おれが操縦するから、後ろに座ってろ」
操縦席の後ろには、二人分の後部座席がある。
操縦している間ぐらいは、せめて刹那の顔を見ないでおきたい。
トレミーに帰ればもう、取り返しのつかないことになるのだから。
ヘルメットをかぶり、ライルは副操縦席に座り直した。
うなだれて、それはそれは長い深呼吸をして、それでもあまり治まりきらない下半身の昂ぶりに絶望して、顔を上げて、ライルは長い指をコンソールパネルに伸ばす。
パネルのスタンバイモードをスタートモードに切り替えると、メインシステムが立ち上がった。立ち上がったそれを、停泊ポートの接舷システムにアクセスさせる。
最前部のホロスクリーンに、格納庫の白い壁が映し出された。
壁の果てで開放されたゲートの向こうは、真っ暗な宇宙空間だ。
刹那は黙って後部座席に座っている。
「固定アーム開放準備。レーザーセンサー確認。システム、オールグリーン」
何秒もしないうちに、小型艇全体に、かすかな振動が伝わった。
接舷用の固定アームが、船体から外れたのだ。

数時間後の未来すら定かでない二人を乗せて、小型艇は、ゆっくりと滑るように、前進を始めた。