翼のある使者 -2-



目を覚ますと、もう午後も遅かった。
日の長い春のこと、この町では、まだまだ昼過ぎだと油断していると、時計を見てから目を回すことになる。
カーテンの隙間から照りつける光を頼りに、エドワードが机上の時計に目をやると、もう午睡の時間すら過ぎていた。
このところ睡眠不足だったとはいえ、少々寝すぎたようだ。
きしむ身体に寝返りをうたせ、うつぶせに起き上がると、ベッドのすぐそばで何か大きなものが床に落ちる音がした。
エドワードは首を伸ばす。
視線の先の床上には、見慣れた義足が一本、落ちていた。
朝のうちに、アルフォンスはエドワードのアパートまで足を運び、これを持って来てくれたようだ。
エドワードが一歩たりとも不自由しないように、起き上がったら即、これが着けられるようにと、わざわざエドワードの眠るベッド脇に立て掛けてくれていたらしい。
エドワードはずるずるとベッド上で匍匐(ほふく)前進し、左腕を限界まで伸ばして義足を拾い上げた。
そして、大変な努力をしてそれを握ったまま這い戻り、それを抱きしめて、もう一度仰向けに寝転がる。

───こんなにまで、してもらって。

気を遣うなと、言う方がムリだ。
ここにはいない弟そっくりの男に、エドワードは心の中で、見当違いの愚痴を言い放つ。
彼が弟だったなら、あるいは弟のような存在だったなら、平気な顔でいくらでもこの手の好意を受けることが出来、いくらでも好意を返せたはずだった。
しおらしく「悪いな」と謝ることが出来、そうでなければ、「こんなことまでしてくれなくていいんだバカ」と罵ることだって自然に出来た。
彼が弟でないばかりに、それどころかこの自分に恋情などというものまで抱いてくれているばかりに、物事は何もかも、すっきりと進まない。
エドワードは焦点の定まらない目で天井をにらみつけた。
昨夜、アルフォンスに寝てもいいともちかけたのは、本心だった。
いてもたってもいられないような感情ではないにせよ、アルフォンスを、ある意味合いで好ましく思っていることは、我ながら否定出来ない。
「今更の仮定」はするだけ無駄だが、もしもアルフォンスが弟に似ていなかったとしても、ひょっとしたら自分は、今と同じように、彼と親密になったのではないかとさえ、思えてくる。
不思議に、マスタングに対する罪悪感のようなものはなかった。
彼とは身体を交わしたものの、実際には何の約束もしていないし、彼が嫉妬めいた感情にとらわれるところなど、エドワードには想像もつかない。
あの感情は自分にとって、恋と言うには、大きすぎて、あいまいすぎたのかもしれない。
ただ、大切だと思った。
本当は離れたくないと思った。
ひたすら彼の無事を願った。
あの頃は、素直に感情を箇条書きにして思い起こすことすらいたたまれなかったが、年月と距離を遠く置いてしまったせいか、今は至極平静に、彼への感情を胸の中で並べ立てることが出来る。
ここまで運命を切り開いて来たのはエドワード自身だが、運命がそこにあると、闇の中で灯火をかざしてくれたのが、彼だった。
何の皮肉か、焔の錬金術師として現われて。
軍規を犯してまでなぜ、自分たち兄弟にそこまでしてくれるのかと、一度だけ彼に訊いてみたことがあるが、返答はなかった。

───さあ。なぜだろうな。

笑んでいるのか悩んでいるのかよくわからない彼の横顔が、オレンジ色のベッドランプに照らされて、妙に痛々しかったのを、エドワードは午後の光の筋に手をかざしながら思い出す。
あれは、質問であって質問ではなかった。質問して、もう数秒後には自分のその行為の浅ましさに気づいて自己嫌悪せざるを得なかった、エドワードにとっては苦い失策の記憶だ。

答えが、欲しかったのだ。
それも、ある一つの答えだけが。

好きだから。
自分の地位よりも軍規よりもおまえが大切だったから、そうしたと。
その彼の答えが、エドワードは欲しかったのだった。
それは質問ではなく、単なる返答の要請、いや強制に過ぎなかった。
彼はエドワードの強制に気づいて核心を避けたのか、気づいたからこそあえて避けたのか、それとも言葉通り、最初から核心などなかったのか、今となっては確認する術もない。
結果的にエドワードは彼からは何も得られず、自己の心のありかたに気づいただけだった。
エドワードの中の、エドワード自身から期せずして返ってきた答えもまた、何の皮肉かただ一つだ。

───なんて、みっともないことを。

ただ一つの答えを彼に強制する自分、強制せざるを得なかった自分のみっともなさは、今も胸に深く刺さっている。
こうして思い出すだけでも、そこが疼くほどに。
アルフォンスへの見当違いの八つ当たりが、なぜか思わぬ疼痛を呼び、エドワードは大きなため息を喉で平たく押し潰した。
ごろりと、義足を片手で抱いたまま再度転がり、身体を起こす。
もちろん間違えてはならない。
疼痛の原因はアルフォンスにはない。
エドワードは、義足の先を、こつりと床に下ろした。
エドワードの肉体が、義肢を得て実際に歩を踏み出すその前に。
簡潔すぎて嫌になるくらいの、またもやの箇条書きで、エドワードの疼痛の原因たちは、ひょいとその意識の表面を闊歩し始める。
みっともないことを思い出してしまったのは、昨日のあの客のせいなのだ。
そしてゆうべ、アルフォンスにあんなことをもちかけてしまったのも、アルフォンスへの贖罪と、好意がこんぐらかったせいであって。
そして、やっぱりあの客のせいなのだ。




寝すぎて重い頭を傾けながら義肢を着け、着替えもあとシャツのボタン二つで終わろうという時、呼び鈴が鳴った。
アルフォンスが帰ったのなら呼び鈴など鳴らすわけがない。
エドワードはシャツのボタンを放棄して、玄関へと向かう。
来客はこの下宿屋の、女主人かもしれない。彼女は大変に親切で、アパートの住人の中でも特に年若いアルフォンスを、何かと気にかけてくれている。もちろん昨日、エドワードがアルフォンスに背負われて帰った無様な姿もしっかりと見られており、「アルフォンス宅に入り浸るアルフォンスの友人」としては、ここで居留守を使うのは全く得策ではない。
付け替えた新しい義足が、まだ足に良くなじんでいないのを自覚しつつ、エドワードは早足でドア前に到着し、焦りながらも出来るだけ丁寧にノブを回した。
「はい?」
人が半身を挟めるほどの間隔でドアを開けると。
目の前に、白い開襟シャツが立ちふさがった。
訪問者が女主人ではなかったことに軽く驚いて、エドワードは視線を上げる。
そこには、甘い水膜を張った、黒い瞳があった。

「こんにちは。…君か。もう、身体は大丈夫なのか?」

視界が、スパークした。

見えない火花に、そして至近距離の黒い瞳と落ち着いた声に弾かれて、ドアノブから手を離せないまま、エドワードの身体は反射的にのけぞってあとずさる。
その動作は不審と言う以外になかったが、今のエドワードに、マナーを考えている余裕などありはしない。

───何しに来た、こいつ…!!

「驚かせたのなら、すまない。ここは、アルフォンス・ハイデリヒ君の家だと、聞いたのだが」
だから何が言いたいのだ。
閉めたいのになぜか閉められないドアを、へっぴり腰でようやっと支えつつ、エドワードは心中で咆えた。
「ロベルトが、アルフォンス君と会ってくると言って出たまま、帰って来ないんだ。あまり遅いんで、研究室でここの住所を教えてもらって来たんだよ」
「ロ…ベルト…?」
どうにか声らしきものを口から発したエドワードに向けて、ああ、と彼は自分勝手に納得し、微笑んで会釈した。
「昨日、ロベルトと一緒に打ち上げを見せていただいた、ロイ・マスタングです。ロベルトのところに居候しているものでね。今日は彼が鍵を持っているので、彼が帰ってこないと私は部屋に入れないんだ」
同居人からうっかりと締め出しをくらったらしい「マスタング」は、なぜか、困っているふうでも、急いているふうでもなかった。
「君は?君もアルフォンス君のルームメイトなのかい?」
顔に似合わない人懐こさで雑談を持ちかけてくる彼に、エドワードはへっぴり腰を立て直すいとまもない。
しかしこの場合、顔に似合わない、というのはエドワードの思い込みである可能性も高い。顔が同じだからといって、こちらのマスタングが、あの上司のように食えない人物であるとは限らないのだ。
だがもちろん、今のエドワードに、その思い込みを自主的に修正する心の余裕などない。
干上がってひび割れた、湖底の地肌のような表情を解かないエドワードをしばらく見つめた後、マスタングは、もう一度ゆっくりと笑んだ。
笑んだその左眼が、涙を浮かべたように、一瞬灰色に濁る。
エドワードは我に返った。

───左眼、は。黒くないのか?

余裕のないままに浮かんだ、ごく小さな疑問を捨てきれなくて、呆然と見つめてしまう。
目前のマスタングは、毛ほども動じない。
彼が1センチほど首をかしげて、本当に好青年よろしく再々笑むと、光の加減だったのか、瞳の灰色は嘘のように消えていった。
ドアノブを握ったまま精一杯伸ばして、マスタングとの距離を出来るだけ取ろうとしていた腕を、エドワードは拍子抜けのついでにふと緩めてみる。
半歩プラス半歩で、目前の来客に歩み寄ってもみる。
そして、落ち着けと心中で絶叫しながら、今最も彼に伝えなければならない情報を、脳内にてフルスピードで選択して、口の端(は)に乗せてみる。
「アルフォンスなら、帰ってねぇよ。研究室にいないんなら、オレもあいつの行き先はわからねぇ」
その口調は、今しがた名前を知ったばかりの、相当年上の来客に対するものではなかったが、エドワードの中の深い動揺は、そんなことにとても構ってはくれない。
しかしこちらのマスタングは、エドワードの無礼を、ほんの少しも気にしていないようだった。それどころか、実に穏やかに笑みながら、じろじろ、とまではいかないがそれに近い風情で、じっとこちらを見下ろしてくる。
まるで、訪問先で懐いてくれないその家の幼子を扱いかねている、お人好しで不器用な紳士のように。
「……なんだよ?」
最重要事項を教えてやったのに、返答がないことに焦れて、エドワードはこちらを見下ろして動かない男に、低く威嚇の声を浴びせた。
男はやはり笑む。
「…いや。昨日も思ったんだが。私は君と、以前どこかで会っただろうか」
言うにこと欠いて、なんということを言い出すのだろう、この「マスタング」は。

───会ってるさ。それも、ものすごく濃厚に。

鏡に映した世界のごとく、同じでありながら全く違う「あちら」で、それはそれは何度も、会っている。
彼にとっては何の意味もなさない事情を、暗い腹の底に叩き込み、その重みに耐えながらエドワードは口を開いた。
「昨日会った以外は。知らねぇよ」
あんたを知らない、と、この場でただ真実を口にすることが、どうしてこんなに虚しいのだろう。
「それにしては、私は嫌われているようだね。この国ではまあ、仕方のないことだが。君の名前はイギリス風だけど、やっぱり君も、ドイツ人なのか?」
こちらのマスタングは、名前の通りドイツ人ではないらしい。
エドワードの故郷の言語と、こちらで言う「イギリス」、「アメリカ」の言語は非常に似ているらしく、先の大戦でそれらの国々に大敗北したドイツというこの国で、「イギリス風の」名前を持つエドワードは時折、いわれのない嫌悪の目を向けられることがあった。
この世界の国境がどこだろうと、究極の異邦人であるエドワードにとって、そういう事情は不快ではあるがささいなことだ。
「…いいや。オレはドイツ人じゃねぇよ。それより。なんでオレの名前知ってんだ」
威嚇を続行するエドワードに、マスタングは切れ長の目をおどけ気味に見開いた。
「君が昨日気絶してた時。みんな呼んでたじゃないか。エドワード、って」
思い出したくもない、もっともな事項を突きつけられて、エドワードは自らに向けて小さく舌打ちする。
「お国事情でないなら、そんなに嫌わないでもらえると嬉しいんだが?それとも私は、そんなに耐え難いほど、君の好みのタイプではないのかな」
おどけた口調で笑み続けるマスタングの瞳に、なにか疲労のような色が浮かんだように見えたのは、たぶん、気のせいだ。
しかしエドワードは昨日、望んでいなかったとはいえ、この男に身体を気遣ってもらった。
そして、この男はこの国で、敵国から来た異邦人として、エドワードと同じく、あるいはもっと長い間、周囲の嫌悪の目に苦しんできたのかもしれなかった。
他人の悪意の中で過ごしてきても、この男は見知らぬエドワードのことを、ただその場に居合わせたと言う理由だけで、あんなに真剣に気遣ってくれた。
別人、なのだ。
どんなに納得出来なくても、この男は、かつての上司とは違う人間なのだ。
視線を下げ、彼の白いシャツの胸元あたりに向けて、エドワードはようやくつぶやいた。
「……別に。あんたが、嫌いなんじゃない」
別人。こいつは別人だ。
呪文のように、自らの意識の中いっぱいいっぱいに、その旨を繰り返し言い聞かせる。
「…ただ。オレの知ってる、大っ嫌いなヤツに、そっくりだったんで」

───バカだ、オレ。

余計な発言を0.5秒後に悔やむエドワードの前で、白いシャツの襟元が震え始めた。
何事かとエドワードが顔を上げると、マスタングはこぶしを口元に押し付けて、笑いを耐えている。
しばらく、苦虫を噛んで味わい尽くすような顔でエドワードは彼を見つめていたが、ひゅるひゅると喉を震わせて笑い続ける男に、とうとう我慢もきかなくなった。
「…もういいだろ。笑うのやめろ」
肩を震わせるついでに、きゅう、と男の腹までが鳴る。
そのあまりの間抜けさに、エドワードは息を詰めた。
下手をすると、吹き出しそうで。
「す…まない。ロベルトに…昼飯も、すっぽかされ、たんだ」
息も絶え絶えに笑う男の目は、今度こそ涙でうっすら湿っている。
「おい。あんた、いいかげんに…」
苦情を言い終らないうちに、今度はもっと盛大な響きで、エドワードの腹が鳴った。
ずっと眠っていたので、朝から何も口にしていなかったのだ。
もう、マスタングの辛抱は吹き飛ぶ。
数十秒単位で笑い転げた後、濡れた左目をやはり灰色に輝かせながら、やっとのことで彼はひと区切りをつけるセリフを吐いた。
「ロベルトを…待っているより。君と食事、した方が、ずっと建設的かもしれないな。時間は、…あるかね?」
治まりきらない笑いの吐息の中からこぼれて来る声は、やはりマスタングであって、マスタングではない。
かつての上司がこんなに笑ったところなど、エドワードは見たことがない。
「その。君が言う、大っ嫌いな奴がどんななのか、是非聞かせてくれ」
彼の声は、本当に不思議で、不愉快で、歯噛みしたいほどに懐かしかった。




そのロベルト・ゴットヴァルトという人物は、深い栗色の髪と瞳がどうにも陰気な中年男だった。
しかし、とっつきにくい外見とは裏腹に、彼の話の幅は広く、昼前から午後にかけて、(昨日のエドワードの負傷によって説明しきれなかった)ロケットの構造についてやら宇宙論やらが、カフェのテーブルを挟んで向かいに座っているアルフォンスの鼻先で営々と展開され、隣のテーブルの紳士が胸元から取り出した懐中時計をアルフォンスがようやく盗み見ると、時刻はもう夕方近かったのだ。

───で。デカルトと違ってニュートンは、絶対空間とかいう概念でエーテルの存在を否定したくせに、完全にエーテルというものの概念から自由になれていないところがあって…

───ゴットヴァルトさん。申し訳ないんですが、友人が待っていますので。

おそらく二十は年上であろう人物との会話を、一刀のもとに中断するのは、アルフォンスにとって非常に勇気の要ることだったが、いくら彼の話が興味深くても、夕食の時間までもエドワードを一人にすることは出来ない。
自宅に帰るのをおっくうがるエドワードを、あのアパートに引き止めているのは、他ならぬアルフォンス自身だからだ。
引き止めていなければ、エドワードはどんな不健康な生活に堕ちていくかわからない。
そして、昨日の打ち身や何やらに加えて、エドワードは疲れている。ケガを口実にして研究を休むように、とアルフォンスが勧めたのを珍しく素直に受け入れて、彼は今日は好きなだけ眠っていたことだろうが、さすがにもう起き出して、空き腹をかかえているはずだ。
夢から覚めたようにゴッドヴァルトの長話から解放され、自身にものしかかる疲労をなだめながらアルフォンスは帰宅したが、部屋の中は無人だった。
日はかげり始め、アパートの隣人たちが支度をしている夕食の匂いが、無人の部屋の中にも漂ってきている。
その匂いが、冷たい風と共にゆらゆらと空気中で揺れるのを感じて、アルフォンスはキッチンの窓際に近づいた。
半開きのカーテンの向こうは、そのまま、隣の建物に阻まれた狭い空に繋がっている。
エドワードは、窓を閉め忘れたまま出かけたようだ。
春の盛りとはいえ、夜は冷える。部屋をこれ以上冷やさないようにと、アルフォンスが窓枠に手をかけてそれを閉めようとした時、眼下から話し声が聞こえた。
窓の下を見下ろすと、隣の建物との間の狭い路地に、見慣れたコート姿のエドワードが立っている。
こちらに気づいていないエドワードの立ち話の相手を見て、アルフォンスは小さく眉根をこわばらせた。

───昨日の、客だ。

小柄とも長身とも言い難い背丈だったあの黒髪の客は、この角度で見下ろすと、身体全体にそこそこの厚みを備えていることがよくわかる。その体格の良さは、いっそう、そばに立つエドワードの、微妙なきゃしゃさを際立たせている。
二人の会話の内容は聞き取れない。
だが、その内容があまり心地良いものでないらしいことは、エドワードの表情を見ていればわかった。
黒髪の客が、にっこりとエドワードに何事か話しかけても、エドワードはまともに答える様子がない。それどころか、硬い表情のまま、彼に背を向けて歩き去ろうとまでしている。
会話の終わらせ方として、今日のアルフォンス以上にそれは礼儀知らずなしぐさだったが、アルフォンスは、自らの心の片隅に安堵が浮かんだことを、無視出来なかった。
それは、本当に情けなくて正直な感情だった。
一見あけっぴろげなエドワードが、実は見知らぬ人間に簡単に心を許すタイプでないことは、この一年と少しの彼との付き合いで、よくよくわかっている。見知らぬ人間どころか、こうして年単位で付き合っていても、彼の心は「弟」と「故郷」に囚われたままで、その苦悩の深い部分には決して触れさせてもらえないのだ。
彼の、優しく力強い金の瞳が放つ視線は、目の前の事象の全てを見透かすような鋭さを備えているくせに、何をも見つめようとはしない。
だから。
あんな、昨日出会ったばかりの男に、エドワードのことが理解出来るはずもないし、昨日出会ったばかりの男に、エドワードが惹かれるはずもないのだ。
エドワードに冷淡にあしらわれている黒髪の客に、それ見たことか、と、嘲笑とも敵意ともつかない毒々しい感情を抱いている自分に気づいて、アルフォンスの心は、ちょうど路地を覆い始めた薄い夕闇のように、ほの暗く湿り始めていた。
自分だってエドワードの心の扉の外側に締め出されているくせに、エドワードの交友関係を妙な方向へ勘ぐってしまう狭量な思考回路が我ながらどうしようもなく嫌で、アルフォンスは掴んだまま離せないでいる窓枠を、再度握り込む。
エドワードの目に留まるのは、彼の話す、故郷───それはどうにも荒唐無稽なものだった───に、繋がっているものだけなのだ。
エドワードがロケットに情熱を傾けるのは、それが、彼が故郷に帰る最終手段であるからで。
アルフォンスに気持ちを傾けてくれるのは、アルフォンスの姿が故郷の弟に似ているからで。

───じゃあ。あのお客も、どこかで、エドワードさんの故郷に繋がっているんだろうか。

うめきたいような思いでそこまで考えたところで、眼下の黒髪の客が、歩き去ろうとするエドワードの腕を捕らえた。
なぜか声も出せず、アルフォンスは数センチ、窓から身を乗り出す。
どうして、あの客がエドワードとあんなところで話しているのか。
名前も知らない男を、エドワードが訪ねてゆくはずもない。だとしたら、あの客の方からここまで出向いてきたのだろうか。
なぜ?
いったい何の理由があって?
そして、そんな得体の知れない男の誘いに、どうしてエドワードは応じたのか?
腕を掴まれたエドワードは、瞬間、ひるんだように見えた。
だが、男を振り向いたその顔にはすぐに落ち着いた翳りが戻り、アルフォンスは、エドワードを呼ぶために舌の上にまで転がって来ていた声を、ごくりと飲み込んでしまった。




そのロイ・マスタングという人物は、ひどく穏やかで辛抱強く、そしてどうにも憎らしい青年だった。
エドワードがどれほど冷めた発言を繰り返しても、彼の饒舌は止まないのだ。

──ロベルトは、遠い親戚筋でね。本当に遠くて、初めて会ったのは三日前だ。無理を言って、ミュンヘンでの宿にさせてもらってる。
──あんた、旅行中なのかよ?
──まあ、そんなところだ。…奴は変わった男でね。私が訪ねて行っても最初は他人のふりをしていたくせに、私がアインシュタインをかじっていると話したら、急に態度が柔らかくなって。
──あったりめーだろ。親戚だろうがなんだろうが、知らねぇ男に突然やって来られて、ハイどうぞって部屋なんか貸せっかよ。

しかし、その饒舌さは、何かすっきりしないひっかかりを含んでいて、昨日会ったばかりだという事情を除いても、エドワードは彼の会話を完全に正面から受け取ることが出来ないでいた。

──アインシュタインは嫌いだ。
──食わず嫌いは良くないな。
──もう食ったよ!ちゃんと!
──なら消化不良か?私は下痢もせず、かなり彼の一般相対理論には納得がいったがね。
──うるせぇよ。

彼の人懐こさは彼の本質であるのかもしれないが。
彼の口から吐き出されてくる言葉は、身の上話に加えて、ロケットの発展の可能性だの、宇宙の構造だのと、エドワードにとっては垂涎せずにはいられないような興味深いものだったが、会話の内容とは無関係に、どこか薄っぺらく、彼が本当に話したいことは別にあるのかもしれないという予測が、どうしてもエドワードの意識から剥がれてくれなかった。

──宇宙は、エーテルか、それに準ずるもので満たされてる。アインシュタインは、アタマの中でこねくり回したことを、解けもしない数式にいいかげんに構築してるだけだ。
──エーテルだって、人間の想像の産物だよ。
──口が減らねぇな、あんた。
──時空の構造について、君には、君なりに意見がある、と。アインシュタインの重力場方程式を、解いてみたことは?
──あるさ。けど、アレは解けねぇ。だいたい、真空とか、絶対空間とか、ありもしないものを要素にした方程式が、解けるかってんだ。
──宇宙を、エーテルも何もないからっぽの真空だと考えるのは、そんなに無理があるかね?でも、真空の概念がなければ、万有引力説は成り立たない。君は、ニュートンも否定する気か?
──自然科学と、宇宙論は別だ。
──そうかな?

食事に付き合って欲しいと言われて強引に連れ出され、目前で勝手な会話を展開している男に対して、エドワードは何を配慮してやる理由もなかったが、その饒舌さがどうにも胃袋にひっかかり、誘いに応じた目的を───男を心底揶揄するということを、とうとう食事が終わるまで完遂出来なかったのだ。

──旅行って、どこ行くんだよ。
──旅行というか。帰るんだ。故郷へね。
──どこ。
──アメリカだ。
──あんたアメリカ人なのか?
──ああ。
──なんでドイツ語しゃべれんだ。
──母が、こっちの人間だった。

マスタングが口を開けば開くほど、エドワードの知っている「マスタング」との相違は際立つ。
目の前のその胸倉を掴んで、「マスタング」の顔をしたその精巧な仮面を、ずるりと剥いてやりたくなる。
エドワードの中で、たいそう自分勝手な違和感が膨張する。
仮面を剥いても、その下には、きっと何もない。

──なんでついて来るんだよ。ロベルトさんちに帰ればいいだろ?
──時間だけはあるんでね。腹も膨れたことだし、私は宿に急いで帰る理由がなくなった。
──帰れ。
──それに、君からまだ聞いていない。
──何をだよ?
──君の大っ嫌いな奴の話を。

彼の精巧な仮面の下には何もない。
それは、わかりきっている。
そもそもそれ以前に、目前の男の顔は仮面などではない。
あちらの「マスタング」とは違う親から生まれ、違う環境で育ち、違う人間に心を寄せ、誰とも違うひとつの存在として、これまで生きてきた、ひとつきりの魂だ。
自らの抱く理屈と感情があまりに噛み合わず、エドワードの深層の意識はすっかり目を回しているのに、それをあっけらかんと放置したまま、エドワードの表層の意識は、マスタングといとも軽やかに会話を続行していた。

───大丈夫だ。すぐに、慣れる。

軽やかに、マスタングに向けて雑言を吐きながら、エドワードは自らに言い聞かせ続ける。
そう。この感覚は、アルフォンスとこちらで初めて会った時にも、さんざん味わったはずだ。
こうして彼と言葉を交わしているうちに、すぐに納得して、絶望出来るはずなのだ。
この男が、かつての上司ではない、と。
そして。
幸運なことに、この男は、ここから遠く離れた故郷に帰ろうとしている。「アメリカ」は、この「ヨーロッパ」とは、大海を挟んだ向こう岸にある、途方もない広い国だと聞いた。
今ここで彼と別れてしまえば、もうおそらく、この世界で「ヨーロッパ」を離れずに生きている限り、彼と顔を合わせる機会はないだろう。
今ここから時間をかけて、エドワードが彼にわざわざ絶望を求め、それを確認する必要も、ないといえばないのだ。
これからの接点がない男に、何を求めても、始まらない。
アルフォンスのアパートへ帰る道々、しつこくついて来るマスタングをあしらいながら、深層で目を回しながら、それでもエドワードは、その接点のなさに、少し安心していた。




すっかり、遅くなった。
決して望んだことではなかったというのに話が長くなり、食事が長くなり、あまつさえついて来る彼を振り切ろうと、彼への憎まれ口を考え考えエドワードがアパートの前まで帰って来た時、春の日は緩やかに暮れようとしていた。
きっともう、アルフォンスは部屋に戻っていて、エドワードの不在に首をかしげ、今晩の食事の段取りに頭を悩ませているに違いない。
「じゃ。ここまでご苦労さん」
エドワードはアパート前の路地で立ち止まり、嫌味をたっぷり力一杯、数歩ばかり後方のマスタングに放り投げてやる。
どこまで神経が太いのか、振り向かれたマスタングは上機嫌だ。
「また明日も、話せないか?」
「は?何を?あんたと?」
「君の宇宙論と、ロケットの話が聞きたい」
「アインシュタインの信者に、話すことなんてねぇよ」
「君の才能に惚れた」
エドワードの思考は停止する。
は?
誰が何に、ホレタって?
思考停止ついでに、身体を動かすためのありとあらゆる神経信号も、停止する。
「君の頭脳と才能に惚れた。こんなに楽しく宇宙論について話せたのは初めてだ」
楽しいのはあんただけだっただろうが、という憎まれ口は、エドワードの中ですぐに凍結し、ばらばらと砕ける。
接点を、深化させてはならない。
この男との接点を深化させる余裕など、今のエドワードにはありはしないのだ。
才能だの頭脳だの、この男はどうしてそんな、バカなセリフを吐けるのだろう。
そして、どうしてそんなバカなセリフで、こんなに身体の奥の一点が、痛むのだろう。
望まない感覚に、エドワードは、自らの身体の血流さえも止めたくなった。
とっさに、ぎしぎしときしみそうな身体を翻して、マスタングに背を向ける。

───怒れ。笑え。何とでも言え。

ただもう、逃げ出したかった。
だが、許してはもらえない。
腕を背後から捕まれて、エドワードの視界に、昨晩の悪夢がよみがえる。

───君の罪がどういうものだったのか、今からよく見ておきたまえ。

嫌だ。
離せ。
腕が、融ける。

さあっ、と、腕への血流が、止まるような気がした。
幸いに、掴まれた腕は融けなかった。
融けなかった腕を、肘から乱暴に回転させ、エドワードはマスタングの手を振り払う。
「…………あんた。軍人か?」
沈黙の後の質問は、的外れもいいところだ。
「いいや。……なぜそんなことを?君の大嫌いな奴も、軍人だったのか?」
心を縮み上がらせるようなマスタングの質問を、エドワードはかろうじて無視する。
「あんたの手、デスクワーク用の手じゃねぇな」
掴まれた左腕に残る感触が、奇妙に硬いのだ。
「そうか?」
「ああ」
「…まあ、デスクワーク用でないのは確かだが。でももう過去のことだよ。今の私は、何もかも失って、尻尾をまいて故郷に逃げ帰る途中の、哀れな失業者だ」
エドワードは、もう一度正面からマスタングを見た。
男はやはり薄く笑みを浮かべて、「失業者」らしく肩をすくめている。みすぼらしい上着の下のシャツの白が、落ち始めた夕闇に漬かって寒々しい。
この男が笑う時、しょげたような顔をした時、この男の左眼が、灰色に輝くのは、どうしてなのだろう。
食事中に、エドワードは既に気づいていた。
この男は、何かものを見つめる時、常に首を左に回している。
こちらが文字通り、正々堂々まっすぐに視線を投げつけてやっているのに、いつも微妙に真正面を向いて来ない彼の顎の角度が、不真面目で小憎らしくてたまらなかったが。
ひょっとして、この男は、左眼の視力が、ひどく低いのではないだろうか。
とりとめのない疑問を口に出す気力もなく、突っ立っているエドワードに、マスタングはさらに減らない口をよこした。
「そういえば。君も学生ではないようだけど?仕事は何を?」
嫌な質問だった。
「…………錬金術師だよ」
「え?」
「もう言わねぇ」

───オレは本当に、みっともないままだ。

自己への嫌悪と、瞬く間にあふれ来る後悔が、エドワードの胸を駆け足で塞ぐ。
オレは以前と、ちっとも変わっていない。
失くしたものを、目の前に存在しないものを、かつての自分のプライドと存在価値を、諦めきれなくて。
こんなところでぐるぐると独りよがりにさまよいながら、偶然会った男に、プライドのかけらを、我慢しきれずに誇示してみたりして。
この男に何を言っても、届くはずなどない。
エドワードの誇りを、生きる信条を、最も届けたい人物は、彼ではないのだ。
「すまない、聞き取れなかったんだ。もう一度…」
「もう言わねぇって言ってんだろ」
「…なら。また明日、君と話したいんだが」
もう、嫌だ。
これ以上彼と話していると、どこから精神が壊れてくるかわからない。
「ダメだ!!さっさとアメリカに帰れ」
「そうなんだよ。滞在費の問題があるんでね。明日はもう、君は忙しいのか?」
「ヒトの話聞きやがれ!!あんたとはもう会わねぇ!」
「違う意見を頭から拒否するのは、子供の証拠だぞ」
「子供でも何でもいいさ。オレは、ただあんたと会いたくねぇだけだ」
「…やっぱり、嫌われてるんじゃないか。嫌いじゃないとか言っておいて」
「あんたと話してるうちに嫌になったんだよ」
「その割には、長々と付き合ってくれたじゃ…エドワード!」
付き合いきれない。
今度こそマスタングの腕を逃れて、エドワードは駆けた。
「エドワード!!」
背後から呼ばわる声は、切りつけて来るように甘い。
鋭いのに粘度は高いその甘味は、じわりじわりと重く、嘲笑するように、エドワードの魂を食み、苛んでくる。
だから、逃れねばならない。
「馬鹿やろう!名前で呼ぶな!!」
一度だけ振り向きざまに怒鳴って、エドワードは角を曲がり、アパートの正面玄関に駆け込んだ。
逃れねばならないのだ。
卑怯者、臆病者、と、彼に罵られようと。




見下ろすアルフォンスの視界から消え去ってすぐに、エドワードは部屋に帰って来た。
「……ただいま」
「おかえりなさい」
つい先刻まで窓を閉めずに、冷えてしまったキッチンで、アルフォンスは声だけを玄関口へ投げ、意味もなく食器棚に手を伸ばす。
カップを探すふりをした指は、エドワードがいつも使うことにしているティーカップにやんわり突き当たったが、背後の空気がいっそう冷え冷えとしているのに気づいて、アルフォンスは指を下ろし、振り向いた。
コートを脱ぎ、立ったままキッチンの椅子の背に片手を掛けたエドワードは、奇妙に熱っぽい目でこちらを見ている。
自分にも、相手にも心地良くない内容の話をしなければならない時、彼の瞳の金色は、いつもこんなふうに、熱っぽく曇る。
曇ったその色が胸苦しくて、アルフォンスは彼に言うべき言葉を胸の内でおおわらわに探したが、最良だと思える言葉は湧き出して来なかった。
「食事に、行ってたんですか?」
ちっぽけなセリフで平静を装うのは、難しい。
アルフォンスの帰宅が遅くなったのは、アルフォンスだけの都合だ。
第一声がこれでは、待ってくれていただろう彼を、責めているようにも聞こえる。
いきなりの失敗にめげながらも、アルフォンスは、声がこれ以上かすれないように、細心の注意を払った。
エドワードが、そっと視線をテーブルに落とす。
「あ…ああ。悪い。あんまり腹が減ったんで、食って来ちまった」
誰と、と問いたいのを、気力を振り絞ってこらえて、アルフォンスは笑んでみる。
「僕こそすみませんでした。ゴットヴァルトさんと話し込んでしまって。気がついたら夕方になりかけてて。具合、どうですか」
「ああ、もうピンピンしてる。肩の裏っかわはまだ痛ぇけど。心配しすぎなんだよおまえ」
「あんなに絵に描いたみたいに気絶されたら、誰だって心配しますよ」
「あー、頼む。その話はもうカンベンしてくれ」
はいはい、と苦笑ってやりながら、ようやくアルフォンスは一歩を踏み出すことが出来た。
早く、何気ないふうでここから出なければ、エドワードの首根を捕まえたい衝動に耐えられなくなる。
早足でテーブルを回り、難攻不落の城門を破るような覚悟でエドワードの横をすり抜けて、アルフォンスは玄関へと向かった。
「じゃあ、僕も食事してきます」
コート忘れるなよ外けっこう寒いぞ、というエドワードの忠告すら、振り払ってしまいたいくらいだった。



食事をすませて帰って来ると、アルフォンスはエドワードと顔を合わせずに、自室に閉じこもった。
ざわざわと気分が落ち着かない原因はわかっている。
自分の抱えるその「原因」が、とても情けない感情の産物であることもわかっている。
エドワードがあの男とのことをアルフォンスに話さないのは、アルフォンスが訊かないからであって、隠しているわけではないのかもしれない。
それに、ひどく嫌なことがあった時、それが嫌であればあるほど、エドワードはそのことを口に出さない。
誰々に身長のことをからかわれただの、あそこの店の主人の態度が悪かっただの、そういうレベルの愚痴はぽんぽんと出てくるのだが、深く心に刻まれた嫌悪を、エドワードは決してアルフォンスに語らない。
あれほど夜毎にうなされていながら、故郷を思ってどれほど苦悶しているかということも、話してくれたためしはないのだ。
自分が訊かないのをいいことに、沈黙しているエドワードが憎らしい。
見せて欲しい。
聞かせて欲しい。

───あなたの心の中に、いまどんな感情が詰まっているのか。

短い夜だというのに、とても横になる気分になれず、アルフォンスがベッドの端に腰掛けて片膝を抱えていると、ドアをノックする音がした。
ベッドから飛び跳ねる勢いでアルフォンスがドアを開けると、まだ寝巻きにも着替えていないエドワードが、神妙に立っている。
「…アルフォンス。本貸してくれ」
全く同じセリフを、彼から幾度も聞いてきたが、こんなに覇気のない声は初めてだ。
「いいですよ。どの本ですか」
「アレだ。重力場方程式が、載ってるやつ」
「アインシュタインのですか?」
アルフォンスの声が、裏返りそうになる。
あの一般相対理論を、真っ向から嫌っていたエドワードが、どういう心境の変化なのだろう。
「ああ、いい。自分で取るから」
慣れた足取りで、エドワードは部屋の隅のアルフォンスの本棚に歩み寄る。
「そこ、上から二番目の段です」
アルフォンスももう最近はあまり手に取っていなかったその本は、小柄なエドワードにとってはかなり入手するのが辛い位置にあった。
「よっ、と………あ、つっ!」
左手を限界まで伸ばした直後、エドワードは義手でその肩を押さえた。
背表紙を掴みかけていた本が、ばさばさと床に落ちる。
「エドワードさん?」
アルフォンスは、たわめられたエドワードの背中に駆け寄った。
「いててて…」
昨日の打ち身の箇所を押さえながら、エドワードは本棚にもたれかからんばかりだ。
痛みをこらえるために、ふっ、と揺れたエドワードの髪の先が、背後のアルフォンスの胸元を擦る。
その、砂粒をひそやかに撒くような音と、端から空気に溶けていくような柔らかな金糸の輝きに、視界を真っ白に塞がれて、アルフォンスは呼吸を止めた。
気がつけば、エドワードを腕に捕らえていた。
彼の肩を圧迫しないよう、彼の腹部に背後から両手を回す。
ためらいは綺麗に吹き飛び、勇気とは違う思い切りのよさで、エドワードの、痛まない方の肩口に顔を埋める。
びりっ、と、エドワードの肩が、野生の小動物のように縮んで固まった。