コバルトブルーの決定
そこに色彩はなかった。
視界は砂ぼこりで真っ白だ。
肩で息をつくたびに、嫌な匂いのする砂が、ソランの鼻と口の中にジャリジャリと襲いかかってくる。
頭上を通り過ぎていった、無人爆撃機の音はもう聞こえない。
通りを走っていて、背後で爆発が起きたのは覚えている。
気がつくと、ソランは砂の上に横たわっていた。
爆風でどのぐらい吹き飛ばされたのだろうか。
見当もつかない。
ずっと抱え込んでいたライフルを持ち上げて、上体を起こして、ソランは激しく咳き込んだ。
ほこりに襲われて痛む目をぎゅっと閉じて、ずいぶん長い間咳き込み続けた。
咳き込み終わる頃に、真っ白だった視界が晴れてきた。
街だと思っていたそこは、もう街ではなかった。
白く、巨大ながれきが積み重なり、のたうち、崩れ散っていた。
崩れ散った大小の白いレンガのそばに、見覚えのある上着を着た右手が見えた。
何分か前に、「走れ」と叫んで、ソランを先に逃がしてくれた友人の上着だった。
友人の右手は、右手だけになってもライフルを抱えて、転がっていた。
その彼の上着の色が何色だったか、ソランはもう覚えていない。
***
モビルスーツのカラーリングが決まらない。
イアン・ヴァスティは、モニタリングルームの窓から、広大な格納庫を見下ろした。
見下ろして、呻き声と吐息がミックスされた声をもらして左右に首をかしげ、首筋の筋肉をまんべんなくストレッチする。
格納庫には純白のモビルスーツが、純白の壁に背中を預けて静かに立っている。
いや、純白とは少し違うかもしれない。
格納庫の金属壁が白いのは照明の反射だし、立っている新しいモビルスーツはまだ塗装が終わっていないので、よく見ると純白の部分と、シルバーグレーの金属色───すなわち剥き出しのEカーボンの色とに───分かれている。
このモビルスーツの名前だけは、早々に決まっていた。
エクシアだ。
他の三機の「ガンダム」にも、ヴェーダが選んだ天使の名前がつけられている。
だが、それぞれの機体のカラーリング決定は、なぜかメカニックに一任された。
「ガンダム」は普通のモビルスーツではない。
その性能も、使命もだ。
そして、ガンダムに搭乗するパイロットたちも、普通の境遇の人間ではない。
しかし、彼らがどれだけ世間からはみ出していようとも、彼らは普通の人間だ。
だから、イアンは彼らに、機体のカラーリングを普通に選ばせようと思った。
───『白でいい。ヴァーチェがより大きく見える膨張色だ。心理的な圧迫感を相手に与えられる』。
この武力介入計画に一番最初から参加している少年は、ワイン色の目をきらりと光らせて言い放つと、すぐに部屋を出て行った。
───『狙撃ってのは九割方、隠れるのが仕事だからなぁ。目立たない色でいいぜ?おれは緑がいいな』。
自分も碧色の目をした青年は、にこやかにそう言った。
───『緑と白以外でカラーを選ばなければならないのなら、もう少し考えてもいいですか?』
三人目のパイロットに選ばれた、銀色の目の少年は、そう答えた翌日に態度と目の色を豹変させて、言った。
───『景気のいい色で行こうぜ。目がチカチカするようなやつがいい』。
三機のガンダムの色は、そうして決まった。
無人のモニタリングルーム内を落ち着きなく一周して、イアンは椅子の一つにふらりと腰を下ろす。
この窓の向こうの格納庫に立っている、エクシアの色はなかなか決まらない。
それ以前に、エクシアのパイロットが決まらなかった。
ガンダムのパイロットを選ぶのはヴェーダの役目だが、ヴェーダはコンピューターらしくもなく、決定を二転三転させたらしい。
一介のメカニックにはその選考事情など知りようがない。コクピット内の微調整を後回しにして、エクシアを完成に近づける努力をするだけだった。
そして先日、ようやく決まったパイロットの情報を受け取って、イアンは仰天した。
エクシアのパイロットは、フェルトとそう年の変わらない少年だというのだ。
万能の分析を誇るヴェーダに感情はない。ないからこその決定だろうが、イアンの感情はそれをすんなり受け入れることができなかった。
だから、エクシアのパイロットに、カラーリングの話を持ちかけることも遅れた。
数日をかけてイアンは感情を立て直し、今日、ようやくパイロットと話をする約束を取りつけたのだ。
約束の時間を五分過ぎても、彼はまだモニタリングルームに現れない。
通路の様子を見に行こうかとイアンがもう一度椅子から立ち上がった時、部屋のドアが開いた。
そこには、端末の画面で確認した写真そのままの、黒髪の少年が立っていた。
「お。来たか!」
イアンが声をかけても、応えはない。
彼の身長体重データにももちろん目を通してはいたが、イメージしていた以上に小柄に見える少年だ。下手をすると、フェルトより小さいのではないか。
浅黒い肌に、大きな目。
赤褐色の瞳は、イアンを見て、すぐに大きく見開かれた。
彼の驚きの原因は、イアンではない。
イアンの背後の窓を通して見えている、エクシアの姿に驚いているのだろう。
パイロット候補として数百時間のシミュレーションをこなしていても、本物のガンダムを彼がじかに見たのは、今日が初めてのはずだ。
見開かれた彼の瞳は、最初の驚きを隠すように、白いハイライトをゆっくり縮小させ、本来の色を取り戻しはじめる。
穏やかなその赤褐色は、穏やかであるのに、なんともいえない緊張と虚無をはらんでいた。
この目には覚えがある。
これは、感情を表現することをあきらめた人間の目だ。
直感を悟られないよう、イアンは慎重に口角を持ち上げ、笑顔を保った。
ソレスタルビーイングには、こういう目をした人間が時々いる。
冷えた胸の底にねじ込まれる痛みを振り払い、イアンはさらにほほえんだ。
「ガンダムのメカニックを任されている、イアン・ヴァスティだ。よろしくな」
歩み寄り、握手のためにイアンが右手を伸ばすと、少年は、伸ばされた右手とイアンの顔を交互に二往復ほど見つめて、やっと口を開いた。
「刹那・F・セイエイだ。……よろしく」
***
いくら考えても思いつかない。
自室のベッドに座り、それまで見ていた端末画面を閉じて、刹那はため息をついた。
微重力の空間に、平らにたたまれた端末が、刹那の手を離れてぷかりと浮かぶ。
ついさっき、メカニックに呼ばれて、モニタリングルームで話をした。
ガンダムのカラーリングを決めるので、白と緑とオレンジ以外で好きな色を選べと言われたが、まったく何も思いつかなかった。
窓の向こうの、初めて見たガンダムの機体に気を取られて、ものを考える余裕がなかったのも事実だが、こうして自室に帰って考え直してみても、これといった色が思いつかない。
そもそも、機体のカラーリングを選べる、ということが突拍子もなかった。マイスターの任務は、太陽炉を守り、ガンダムを操縦し、ミッションを遂行するだけなのではなかったか。
自分の搭乗するガンダムは、どんな色でも構わない。そうメカニックに告げると、彼は一瞬だけ表情を硬くして、すぐに笑顔に戻って、言った。
───『まあそう言わずに、もう一日だけでも考えてみたらどうだ?』
笑ってはいたが、メカニックの男は何か別のことを考えているようだった。
マイスターには知らせることのできない、メカニックならではの事情があるのかもしれない。
どうしてもカラーリングなど思いつかない、と明日知らせれば、暇ではないメカニックもあきらめて、ガンダムの塗装作業を開始してくれるかもしれない。
要らないと言っているのに与えられた猶予が、ただうっとうしい。
身体の底で、熱のかたまりのようなものが不快をまき散らしながら、這いずっている気がする。
どれだけ端末のカラーサンプルを見つめても結果は同じだ。
夕食にも、就寝にも、まだ時間がある。
じっとしていられずに、刹那はベッドから立ち上がって、自室を出た。
***
フェルトは窓を見つめていた。
窓といっても、景色が直接見えているわけではない。
ラグランジュポイントに散在する、小惑星の表面をくりぬいて作られたこのファクトリーには、窓がない。
代わりに、光学カメラを通じて、外の景色を壁のパネルに映し出す、投影システムがある。
ファクトリーの展望室で、フェルトは壁のパネル──ソレスタルビーイングの作業員は、それを窓と呼んでいる──を、見つめていた。
展望室は、この小惑星内の発着ロビーのように広大で、入り口以外の三方の壁が、すべて「窓」になっている。
オペレーターの訓練の合間に、ここで外を眺めるのが、フェルトの日課になっていた。
このファクトリーには、フェルトと同年代の子供がいない。
ジュニアスクールはコロニーにしかないのだからあたりまえなのだが、スクールというものが苦手なフェルトにとって、ファクトリーでたった一人の子供として、オペレーターの訓練を受けることは苦にならなかった。
スクールでするような勉強はここでも続けられる。それと一緒に訓練を続けて、適正テストに合格して、イアンのようにソレスタルビーイングの中で働きたい。
膝を抱えて壁際に座り込み、薄暗い中で、フェルトは星の浮かぶ「窓」を見つめ続ける。
夕食にも、就寝にも、まだ時間がある。
だが、暗い星空を見ているのも飽きてきた。
腕を伸ばして、フェルトは壁際のスイッチを探す。
ノートくらいの大きさの、壁の一部分を指先でスライドさせると、わざと目立たなく設計されているそのスイッチが現れた。
座り込んだまま、現れたスイッチを押す。
すると、「窓」の景色が、瞬時に変わった。
宇宙空間を映していたそこに、真っ赤な「夕焼け」が──いや、夕焼けの映像が現れる。
映像は静止していない。地球のどこかで撮影されたビデオなのだ。
画面の下の方には黒い木々が風に揺らめき、いきなりザッと音を立てて、そこから何十羽もの黒い小鳥が飛び立ち、不思議な声を上げながら、赤い「空」の彼方へと飛んでゆく。
宇宙育ちのフェルトは、本物の「夕焼け」を見たことがない。採光を人工的に調節するコロニーでは、風景が薄暗くなると夜で、明るくなると朝であるだけなのだ。
地球では、上を見上げるとそこに建物はなく、何もない空間がどこまでも広がっていて、その「空」は赤くなったり青くなったり、時には紫色になったりするのだと聞いた。
遠く離れた地球で安心して暮らせる気はしないが、「夕焼け」だけは、一度見てみたいとフェルトは思う。
画面の木々がざわざわと音を立てる。
その音の中に、シュ、と空気の摩擦音が混じった。
音のした方を振り向くと、展望室の入り口に人が立っていた。
また同じ音を立てて、人影の背後で展望室のドアが閉まる。
あ、と小さく息を飲んで、フェルトは壁のスイッチを押し直した。
瞬時に夕焼けは消え、「窓」は元の星空に戻った。
ここは、作業員が外を眺めて休憩するためのスペースだ。自分以外の誰かがいるのなら、「窓」の映像は元通りにしておかなければならない。
だが、展望室に現れた人影は、その場から動かない。
フェルトの身体の中に、ゆっくりと驚きが溜まり始める。
動かない人影の大きさが、どう見ても大人のそれではなかったからだ。
自分と同じくらいの身長の、たぶん、男の子。
真っ黒な髪に、着ているのは、変わった立て襟の白いシャツ。
訓練で一緒になったことはないから、メカニックやオペレーター候補生でないことは確かだ。
彼は「窓」ではなく、じっとこちらを見つめている。
その視線の鋭さが恐ろしくて、フェルトはもう一度息を飲んだ。
「…スイッチがあるのか?」
低い声が、かろうじて聞こえた。
視線も恐ろしいが、低く抑揚のない彼の声もまた恐ろしい。
だが、「窓」を元通りにしたのに怒気を向けられる理由がわからなさすぎて、フェルトはやっと声を絞り出す。
「……な、んで、おこってるの…?」
「違う」
彼の表情は、口元以外ぴくりとも動かない。
「別に怒っていない。どうやって、さっきの映像を映していたのか知りたかった。スイッチがあるのか?」
まっすぐな否定にほっとして、フェルトはそばの壁を指さした。
「ここにスイッチがあるの。イア…メカニックの人に教えてもらったの」
彼の質問に答えたのに、彼は黙り込んでいる。
彼の意図がよくわからない。
「もう一度見る?」
フェルトが尋ねると、さらに数秒の沈黙の後で、彼は小さくうなずいた。
連続してこのスイッチを押せば、いろいろな種類のビデオや静止画像が見られる。これは別に機密事項ではないが、一部の作業員しか知らないシステムだ。壊れると面倒だからあまり言いふらしてくれるなとイアンは言っていたが、この少年は口が堅そうに見えた。彼が映像を見たいのならば、見せてあげたい。
ふわりと床を蹴って、彼はフェルトの座っている壁際に漂ってきた。
一瞬どきりとしたが、彼はフェルトにそれほど近づかず、フェルトの目前を通り過ぎて、壁のスイッチから腕一本分ほど離れた壁際に、ひっそりと腰を下ろした。
「見終わったら、フタしておいて」
壁面のスライドカバーの存在を説明して、フェルトはスイッチから手を離した。
彼が手を伸ばして、フェルトの代わりにスイッチに触れると、「窓」の映像が次々と入れ替わった。
膝を抱えて座り込んだまま、フェルトは彼と一緒に、映像をぼんやり眺める。
一面の花畑。
森の木漏れ日。
水の中の魚。
切り立った崖と滝と、虹。
コロニーでも見られる景色と、実際に見たことのない地球の映像が、かわるがわる映し出される。
ふと、ある風景で、画面が静止した。
砂の中の、遺跡の映像だった。
地球の、どの国の映像なのだろう。
真っ青な「空」の下に、砂しかない大地が広がり、そこに、崩れかかった巨大な石の柱が何本も立っている。
真っ白な石の柱は、かつて石の屋根を支えていたのだろうか。
建物であったらしいその敷地の端には、玄関めいた階段が数段あるだけで、階段は途中から、真っ白な石ころを散らすがれきになって、朽ちかけている。
画面は静止したままだ。
彼は、この映像がよほど気に入ったのだろう。
自室に帰ろうと、フェルトはその場で立ち上がった。
また、空気の摩擦音がする。
ずいぶん近い音を不審に思ってそちらに目を向けると、彼は壁際で座り込んだまま、いっそう小さく身体を縮めていた。
音は、彼の吐息だったのだ。
吐息はすぐに速くなり、彼は顔を伏せたまま、肩だけを上下させている。
「どうしたの?」
返事はない。
吐息は速くなるだけだ。
「具合が悪いの?」
どう見てもそうなのだが、他にかける言葉が出てこない。
フェルトの端末は自室に置いてきてしまっている。
この展望室に、外へ連絡できる通信設備はあっただろうか。
いや、彼を医務室へ運ぶのが一番早い。
ここから医務室までは遠いが、微重力空間であるなら、フェルト一人でも彼をそこまで連れていけるかもしれない。
彼の身体のどこに触れれば、効率的に彼を運べるか。
スクールで習った救急訓練では、どこを引っ張ればいいと言っていたか──フェルト自身の呼吸も速くなってきた時、背後で明るい声がした。
「探したぞー。ここだったかフェルト。今リンダが来てな、一緒に食事を」
「…イアン、助けて!」
医務室のドアの横で、フェルトはただ立っていた。
通路の壁に背中を預けて、じっとイアンが出てくるのを待つ。
自室に帰っていいとイアンには言われたが、とても帰ることができない。
展望室で会った彼の具合がどうなのか気になる。
彼をこの医務室に連れて来るのは、本当に大変だった。
あんなに具合が悪そうだったのに、彼は医務室に行くことを激しく拒絶した。彼の腕を引いたイアンは彼につかみかかられ、壁に頭をぶつけてしまった。
───『お前さんはヴェーダが決めたマイスターだ。少しぐらい具合が悪くても、お前さんはマイスターを降ろされたりしない!』
そうイアンが怒鳴ると、彼は急におとなしくなった。
彼は、体調を崩すとマイスターから降ろされると思っていたらしい。
「マイスター」の存在は、フェルトも知っている。
ソレスタルビーイングの「計画」を実行する、特殊なモビルスーツのパイロットのことだ。
「計画」が実行されるのは数年先だが、モビルスーツのパイロットや、モビルスーツの輸送艦クルーはもう何人か決まっていると聞いていた。
それでも、あの彼がマイスターの一人だと知って、とても驚いた。
彼はフェルトと同じぐらいの子供にしか見えない。
彼の家族は、彼がマイスターになることに賛成したのだろうか。
それとも、彼も自分のように、親も兄弟もいない身の上なのだろうか。
どんなに特殊な、世界中のどの軍隊より強いモビルスーツに乗ることができても、それが危険と隣り合わせであることに違いはない。
どうして彼は、マイスターになりたいと思ったのか。
どうして彼は、マイスターであることにあんなに執着するのか。
訊きたいが訊けない。
このファクトリーは──いや、ソレスタルビーイングは、そういう組織だ。
この組織の中で生まれ育ったフェルトも、両親の死因すら知らない。
事故だったとイアンは教えてくれたが、どんな事故だったのか、知ることはできないのだ。
医務室のドアが開いた。
「待っててくれたのか。すまんな」
一人でふわりと医務室から出てきたイアンは、何一つ悪くもないのに、フェルトにそう言って、疲れた笑みを浮かべた。
「あの子、具合は?」
フェルトが尋ねると、イアンの目がふと細められ、笑みの中に、苦みが混じった。
「心配ない。軽い過呼吸みたいなもんだ。しばらく休めばすぐ治る」
「……そう…」
「フェルトのせいじゃないぞ?気にするな」
「………」
「どっちかというと、ワシのせいなんだろうなぁ…」
「どうして?」
「メカニックの、アレでな。彼には荷が重いミッションだったかもしれん。ちょっとな。考え直した方がいいかもな…」
フェルトから目を逸らし、遠くを見る目で、イアンはわけのわからないことを言った。
***
刹那は「窓」を見つめていた。
時刻は、グリニッジ時間で真夜中だ。
当然ながら、展望室には、他に誰もいない。
夜勤の作業員がここへ息抜きに来る可能性も低いだろう。
今晩は医療カプセルで眠ったらどうかと医者に勧められたが、具合も悪くないのに治療を続ける意味が分からなかった。
なので、刹那は医者を振り切って自室に戻り、それからまた、この展望室に来ている。
数時間前に、ここで映像を見ていたら、急に息が苦しくなった。
室内の気圧異常で酸素濃度が足りないのかと思ったが、隣りにいた少女は苦しがっていなかった。
医者は過労だろうと言っていたが、規定時間以上の訓練は受けていない。
刹那の前で、いつも医者は言葉を濁す。
「精神的な」問題だと、本当は言いたいのだろう。
だから、刹那はもう一度、あの時と同じ映像を見ることにした。
負けたくなかった。
同じ状況で、また同じように息苦しくなっても、それは「精神的な」問題なのだ。
どんなに苦しくなっても、死ぬことはない。
医者はそう断言していた。
その場に誰もいなければ、心配されたり、慌てられたり、ヴェーダに報告されることもない。
壁に背を預け、床に尻を落として、刹那は、あの少女に教えてもらった壁面のカバーをスライドさせる。
スイッチを押すと、またあの映像が現れた。
脈動が、刹那の肩をびくりと揺らす。
身構えていたのに、透明な岩石が胸元に勢いよくぶつかるように、身体の中で脈動が暴れ始める。
地平線に続く砂漠。
白い石柱。
柱の黒い影。
影の先に崩れ落ちている、白い階段と、無数の石。
無人の、遺跡だ。
誰もいない遺跡の映像なのに、刹那の目は、崩れ落ちた階段のそばに、白くない何かが落ちていないか、探してしまう。
探してもムダなのだ。
腕だけになったあの友人を探しても、刹那は、彼を助けることができない。
時間を戻したとしても、彼と一緒に「ソラン」も死んだだけで、彼を助けることはできなかっただろう。
荒い呼吸の中で、刹那は白い石の群れから目を逸らした。
視線を上げる。
首を動かす必要もない、ほんのわずかな角度の、視線の転換だった。
折れた白い柱の上には、あの時存在しなかったはずの、鮮烈な色が広がっていた。
そこに雲はない。
水のように、揺らめくこともない。
冷酷なほどに、かっちりと何もない、青い空だった。
ほんのわずか、呼吸が楽になったような気がした。
***
数日後。
「なにか、いいことがあったの?」
フェルトに尋ねられて、イアンは口元に運んでいたスプーンをふと停止させた。
「いや。別に?そんなふうに見えるか?」
「うん」
ファクトリーの食堂は、昼食時間なのでやや混んでおり、なかなかに騒がしい。
資材の搬入業務で数日滞在していたリンダは、昨日、このファクトリーからまた別のファクトリーへ出発していった。
なので、イアンとフェルトは、今日もいつも通り二人で食事をしている。
コーンスープ味のペーストを静かに飲み下して、イアンは細い細い呻き声を短くもらした。
「いいことじゃなくて、困ってることならあるがなぁ…」
「なにに困ってるの?」
「最後のモビルスーツのカラーリングが決まったんだがなぁ。予算が厳しくてな。安い塗料にも代えられないし、どうしたもんか…」
「どうして安い塗料に代えられないの」
「うーん。代えない方がいいと思うからだな。こればっかりは」
「……へんなの」
「ヘンか?」
「うん」
「…まあ、何とかするさ」
イアンは思い出す。
───『この色にして欲しい』。
昨日。
端末の画面の、カラーサンプルのひとすみを指さして、低い声で、彼はそう言った。
彼の指した先は、鮮やかな青だった。
晴天のような、深海のような、どこまでも手を伸ばして追いかけたくなるような、鮮やかなコバルトブルー。
───『そうか。よく決めてくれた。ありがとうよ』。
───『なぜ礼を言う?』
───『さあ…なんでだろうな。ただ言いたくてな』。
あの刹那と、このフェルトは似ている気がする。
こちらが答えに窮する質問を、真顔で投げかけてくるところが。
ミルクらしい容器のストローを、音もなく吸っているフェルトをちらりと見やり、イアンはまた、コーンスープのペーストをすくい上げる。
エクシアの表面塗装は、価格に配慮して、フタロシアニン塗料を使うべきだろうか。
いや。やはりここは、カラーネーム通りのアルミン酸コバルトを使いたい。
青の塗料は数あれど、数百年前から存在するというコバルト塗料は、恐ろしいほど希少な品だ。
高価すぎて、量産型のモビルスーツにはまず採用されることがない。
だが、エクシアは普通のモビルスーツではない。
それに、彼が選んだあの青の色味を最も忠実に再現できるのは、コバルト塗料しかない。
───いや。
これは、勝手な思い込みだ。
イアンの口元がゆるむ。
似たような青の代わりは無数にある。
イアン自身が、最高級の青で、彼の要望を叶えたいと願っているだけなのだ。
最高級の青の表面に、GN粒子をコーティングする。
そうすれば、エクシアは蒼天に融けるように、美しく輝くことだろう。
塗装を終えたエクシアを、早く彼に見せたい。
本当に、塗料の調達の段取りを考えるだけで頭が痛い。
「おっと」
考えごとに気を取られ、イアンの指先からスプーンがすり抜ける。
トレイの中のペーストに突き立っていたスプーンは、ゆらゆらとバランスを失い、トレイから離陸した。
微重力の空間を、黄色いペースト付きのスプーンがゆっくりと漂う。
その向こう岸から、コバルトとはまた違う、ターコイズブルーの瞳があきれたようにこちらを見ている。
「やっぱり、嬉しそうだね」
フェルトがそう言うのなら、きっとそうなのだろう。
イアンは苦笑して、フェルトが捕まえてくれたスプーンを受け取った。
この食堂で、刹那の姿を見かけたことはない。
だが、このファクトリーのどこかで、彼も食事をしているはずだ。
青いエクシアの誕生を、イアンと同じように、ひっそりと待ちわびながら。
彼とフェルトと三人で、いつか、長い話をしてみたい。
イアンはそう思った。