見上げる水面に揺れ揺れる



『本当にすみません、その日は予定が…』

決定的だと思った。
電話の向こうの、そのバーナビーの声を聞いた時。
虎徹の身体の中で、重くも軽くもなく、ただ尖った何かのかけらが、カラカラと音を立てて崩れていった。


虎徹が能力の減退を理由にヒーロー業を辞めてから、一年と四ヶ月ほどが経っていた。
今は十月の半ばだ。
虎徹は実家で、兄の仕事を手伝いながら未だ求職中だった。
かつて、斎藤と共に虎徹のヒーロースーツを作ってくれたバーナビーも、虎徹とほぼ同時にアポロンメディア社を辞め、求職中だった。
しかし。
求職中という状況は同じでも、NEXT能力の減退が著しい四十路間近のシングルファーザーと、業界でもトップメーカーのメカニック技術職に就いていた二十代半ばの資産家令息とでは、再就職への時間制限も、可能性もまったく違う。
マスコミが騒ぐこともあって、バーナビーは一時、静養を兼ねてシュテルンビルトを離れていたが、数ヶ月後に帰宅してからは就職活動に本腰を入れている。
虎徹は相変らず兄の助手を務めているが、人口の少ないオリエンタルタウンでの求職はなかなか厳しいものがあった。在宅中は楓に邪険にされることもあり、就職の軸足をもう一度シュテルンに戻そうかと思っていた矢先の、バーナビーの発言であった。

───『僕の誕生日…ですか。本当にすみません、その日は予定が…』

半月後のバーナビーの誕生日を、バーナビーの家で祝いたいという虎徹の提案は、あっさり却下されてしまった。
求職のための、どうしても外せないアポイントが入っているというのがバーナビーの理由だったが、虎徹は携帯を耳に当てたまま、その後のバーナビーの説明を聞き流していた。
『あの、何時になるかわかりませんが、十月三十一日は、夜遅くなら時間が取れます。でも、夜中まで待ってもらうのは申し訳ないですから…次の日なら、朝からずっと空いてますから、…それじゃダメですか…?』
バーナビーは焦っている。
黙り込んでしまった虎徹に、一生懸命申し開きをしようとしている。
その一生懸命さは、本当は、誰に向けてのものなのか。
バーナビーの本心は、虎徹ではない他の誰かに、もう捕らわれてしまっているのではないか。
何かが崩れ落ち、ほとんど空っぽになった虎徹の身体の中で、どうしようもなく意地の悪い疑問がぐるぐると回転する。
あの、アッバス刑務所の事件の後、確かに虎徹はバーナビーと特別な関係になった。
虎徹は実家暮らしを続けていたが、バーナビーとはほぼ毎日電話で話していた。数ヶ月に一度、シュテルンビルトを───バーナビーの家を訪ねて、短いが情熱的な時間を過ごしてもいた。
ただ、最近になって、バーナビーは電話に出ないことが多くなった。
彼に電話をかけても、ほぼ半分の割合で「ただいま電話に出られません」というそっけない留守番メッセージに切り換わってしまう。忙しいのだろうと思って虎徹が電話をしないでいると、そのまま数日間、バーナビーからは連絡がなかったりする。
今日のこの電話も、そんな沈黙の数日を経て、やっとバーナビーに繋がったものだ。
『……怒ってるんですか?』
耳に当てた携帯のスピーカーから、消え入りそうな、バーナビーの声が聞こえてくる。

───なんでそんな声出してんだ。

泣きたいのはこっちだ。なのに、なんでおまえがそんな泣きそうな声を出す?
湿りきった固唾を飲んで、虎徹は息を整えた。
同性同士で、年の差があって、立場の差があって。
バーナビーとの「特別な関係」を維持することが、ウルトラ級に難しいのは、最初からわかっていたことだ。
『虎徹さん。返事をしてください』
数ヶ月に一度しか会えない関係なんて、恋人といえるかどうか。
若さも時間ももてあましているバーナビーが、そんな希薄な関係に耐えられるかどうかなんて、最初からわかっていたことではないか。
『せっかくの日に、本当にごめんなさい。お願いです、怒らないで。…いえ、あなたが怒るのも当然なんですけど、でも、僕はあなたに会いたい。会いたいんです。だから、』
「…いいって。別に怒ってねぇよ」
やっとバーナビーの声をさえぎり、虎徹はつぶやく。
ああも沈黙をひきずってしまっては、どうにもごまかせない。
バーナビーは、虎徹が消極的に表明した不快感に、どうしようもなく気づいている。
『嘘だ。あなた、怒ってる』
こんなに一生懸命食い下がってくれる恋人に、自分の感情をあてこするなんて、意地が悪いなんてもんじゃない。
内心で自嘲しながら、虎徹は固まりきった口角を、無理やり引き上げた。
「ホントに、怒ってねぇから。じゃあわかった、誕生日の次の日な。またケーキ持ってくから、待っててくれ」
少しも、思った通りの優しい声が出ない。
深い海の底で、もごもごと歯切れ悪く話しているみたいだと思った。
暗い水底の、尖ったかけらの降り積もる砂の上で、ひとりで膝から崩れ落ちて。
光は頭上で揺れてはいるが、揺れているだけで、あまりにも遠くかすれて、掴めそうもない。
バーナビーの次の言葉を聞かずに、虎徹はすぐに電話を切った。




これが最後かもしれないと思うと、妙に気合が入った。
「本当にこれでいいんですか?」
「あー、いんですいんです。サイコーです。ありがとうございまーす」
念を押すケーキ屋の店員に、虎徹はニコニコとほほえみかけた。
「友人の誕生日なんで」と虎徹が注文した正統派のデコレーションケーキには、「ハッピーバースデーバニー!」と手書きされた大きなチョコプレートが鎮座している。
ウサちゃんなんて(ふざけた)名前、大丈夫なんですかと店員は気を遣ってくれたが、こんな悪ふざけも今年で最後かもしれないのだから、虎徹の決心は揺らがない。
大きなケーキの箱を慎重に水平にぶら下げて、虎徹はケーキ屋を後にする。
ケーキ屋の外装も内装も、オレンジ色のかぼちゃの飾りで埋め尽くされ、目がチカチカしたが、LEDのほのかな灯りを抱くジャック・オ・ランタンの表情はどこか間抜けで、ほほえましい。
今晩はハロウィンだ。
バーナビーとの、二人きりの誕生パーティーは明日の予定だが、虎徹は一日早く、このシュテルンビルトを訪れている。
虎徹が今、この夕方にシュテルンビルトに居ることを、バーナビーはまだ知らない。
そこそこ通い慣れた道を、ケーキの箱と共に虎徹は歩く。
あともう十分も歩けばバーナビーのマンションに着く。
これが最低の行為であるのは、自分でもわかっている。
バーナビーに知らせずに、黙ってバーナビーのいない部屋に踏み込むなんて、とんでもない礼儀知らずだ。
玄関キーの暗証番号まで教えてもらっているのだから、バーナビーとはただならぬ仲であることは自覚しているが、いくら深い仲でもこれはアウトだろう。
ここまできても、自分が本当はどうしたいのか、虎徹にはよくわからない。
今日は深夜まで帰らないと言っていたバーナビーの言葉を、ただ確かめたいのか。
バーナビーの部屋に抜き打ちで踏み込んで、虎徹以外の来客の痕跡があったらどうするのか。
そもそもバーナビーが在宅していたらどうするのか。
そして、バーナビーが虎徹以外の誰かと在宅していたらどうするのか。
発想が昼メロすぎると思いながらも、嫌な想像はとめどなく虎徹の脳内を駆け回る。

───んでも、それならそれで、いいんじゃねぇか?

ケーキの箱を左手に持ち替えて、虎徹は目にかかった前髪を、ハンチングごとかき上げる。
昼メロだろうがなんだろうが、バーナビーの心変わりが目の前ではっきりすれば、それはそれであきらめがつく。
そうすれば、きっぱり切り替えて、就職活動にも身を入れられる。
なぜか、ぶるっと一度だけ身体が震えたが、バーナビーのマンションはもうそこに見えている。
引き返すわけにはいかなかった。




インターホンから、反応はなかった。
それだけで、とても安心している自分にあきれながら、虎徹はバーナビー宅の玄関を解錠した。
「…こんちわァ」
真っ暗な部屋の中で静かに呼ばわっても、返事はない。
壁面のスイッチに手を伸ばして明かりをつけると、いつも通りにだだ広い玄関口が、ふわりと暖色光に包まれた。
嗅ぎ慣れた、バーナビーの家の匂いがする。
炊事をあまりしないせいか、通いのハウスキーパーが優秀なのか、バーナビーの家は、いつまでたっても新築の家のような、生活感の薄いよそ行きの匂いがする。
まずキッチンに行き、虎徹はケーキの箱を冷蔵庫に入れた。いつも水しか入っていないバーナビー宅の冷蔵庫だが、今日は隅の方に少しだけ食材らしきものが積まれている。
食材らしきものはそれぞれ厳重に包装されていて中身は見えない。しかし包装紙の柄は、虎徹も見たことだけはある有名デパートのそれだ。
何を買い込んだのか不思議に思いながらも、棚の一番上に、新品の吟醸酒の瓶が寝かされているのを見つけて、どきりとした。
バーナビーに吟醸酒を飲む習慣はない。
それに、このシュテルンビルトでこの手の酒を扱っている店は多くない。
どこでどうリサーチして入手したのか、棚に寝かされている吟醸酒はオリエンタルの酒屋でもあまり入荷しない、高価で希少な銘柄だった。

───まさか…俺のために用意したとか?

それ以上期待をしたくなくて、虎徹は急いで冷蔵庫のドアを閉めた。
リビングの入り口をスルーして、寝室へと向かう。
誰もいないことをもう一度祈りながら、寝室のドアを開ける。
くしゃくしゃに乱れたシーツに覆われたベッドは、広すぎる部屋の中で、窓からの月光をぽつりと浴びていた。
ベッドもその他も、無人だった。
部屋の明かりをつけると、ベッドの脇に、バスタオルとスリッパが派手に絡み合って落ちているのが見えた。
バーナビーは、よほど慌ただしく着替えて出かけたようだ。
いつも寝起きの悪い、あの不機嫌な顔が思い出され、虎徹は思わずフフ、と息を吐く。
ベッドのシーツをなんとなく伸ばし、床のバスタオルを拾い上げると、かすかに湿ったその布から、ふわりとバーナビーの匂いがした。

───あー。ダメすぎ。俺。

もうそれだけで、勃ちそうになっている自分が嫌になる。
このバスタオルを洗面所に放り込んでからリビングに逃げたいが、リビングにはバーナビーのパソコンがある。
パソコンに、パスはおそらくかけてあるはずだが、何かの間違いでうっかり中身を見てしまったら、取り返しのつかないことになる。
キッチンにも、寝室にも、今のところバーナビー以外の人間の痕跡は見当たらないが、あの文明の利器ボックス───もといパソコンという精密機械の中には、バーナビーという意識の集合体の、その秘密のほとんどすべてがぎゅうぎゅうに詰め込まれているのだ。
リビングに行けば、きっとあの秘密ボックスに手を伸ばさずにはいられない。
ここまで不法侵入している人間が言うのもなんだが、その禁忌だけは犯したくない。
「神様仏様友恵様…俺を、これ以上最低な人間にしないでください…」
ほとんど意味もわからない祈りを、湿ったバスタオルと一緒に胸に抱きしめ、虎徹はシーツの整いきらない、その大きなベッドに倒れ込んだ。




右足が、かすかに重い。
愛車のエンジンを止め、バーナビーは駐車場に降り立った。
車のドアをロックし、帰宅すべく、マンションの玄関へと向かう。

───『右足はほぼ治っています。しかし、そこに日常生活以上の激しい負荷をかけると、後遺症とは言いませんが、何らかの不調が起こる率が高くなる。今は焦らず、通常の範囲でのリハビリとトレーニングをすることですね』。

今日の昼間のドクターの言葉が、ぐるぐると脳裏をめぐる。

───じゃあ、いつになったら足に負荷をかけてもいいのか。

あの場でドクターに言い返しはしなかったものの、バーナビーはどうしても、焦りをぬぐうことができない。
激しい負荷に耐えられる足でなければ、ヒーローは務まらない。
やっとここまで来たのに。
半年前、喉から心臓が出そうな思いでアポロンメディアを再訪して、ロイズと斎藤に食い下がって、やっと、ヒーローデビューの約束を取り付けたところなのに。
二部からのスタートとはいえ、まともに身体が動かなければ、ヒーローを名乗ることはできない。
バーナビー自身にまとわりつく、マーべリック事件のイメージを払拭するためにも、バーナビーが演じるヒーローは、完璧なものでなくてはならない。
だからこの数ヶ月、全力でトレーニングを続け、全力でデビューに向けての方針を事業部で打ち合わせてきた。
今日のこの、自分の誕生日だって、虎徹の誘いを蹴ってまで、トレーニングと打ち合わせに費やした。
毎日の電話すら途切れがちになり、とうとう虎徹を怒らせてしまったのは半月前だ。あれ以降も普通に虎徹は電話に出てくれるが、穏やかすぎるあの声が、バーナビーは恐ろしくてしかたがない。
虎徹にはまだ、本当のことは言えない。
ヒーローデビューするために、電話をする時間を削ってトレーニングしているなんて、とても言えない。
虎徹はきっと、バーナビーのデビューに反対するだろう。
だからこそ話し合った方がいいと思うのに、その勇気がどうしても出ない。
せめて、この足だけでもちゃんと動かせるようにならないと、虎徹に納得してもらえない。

───だからもう少し、もう少しだけ、時間が欲しい。

足早に、バーナビーはエレベーターを降りた。
今は、誕生日の誘いを蹴ってしまったことを虎徹に謝りたい。
明日は、虎徹がここに来てくれる。
明日こそ、きちんと彼に会って、彼の目を見て謝罪がしたい。
彼を食べ物で懐柔しようなどとは思っていないし、彼が気に入ってくれるとは限らないが、いつか虎徹が欲しがっていた「Ginjyou‐syu」も「Karasumi」も、ずいぶん探して入手した。
明日になれば、虎徹に会える。
明日の午前中、いつ来てくれても構わないように、今日はもう、すぐに寝てしまいたい。
雑な動きで指紋認証パネルに指を押し付けて、バーナビーは玄関を開ける。

───あれ?

明るい照明に、思わず身構える。
部屋の明かりは、出かける時に消したはずだ。
いや、今日は寝過ごしてあわてていたから、消し忘れていたのだろうか。
ゆっくりと廊下を進むと、キッチンの明かりもつけっぱなしになっている。

───誰か、ここに来たのか。

強盗や泥棒の可能性を瞬時に吹き飛ばして、この部屋に無断で入ることができるたった一人の人間を思い出し、バーナビーは無人のキッチンを飛び出した。
無人のリビングを覗いた後に、寝室に転がり込む。
明るい寝室のベッドの上に、その「無断侵入者」を見つけて、バーナビーは息を飲んだ。
こんもりとベッドの上に毛布の膨らみを作り、無断侵入者は動かない。
バーナビーがベッドのそばに歩み寄っても、微動だにしない。
侵入者はぐっすり眠っているようだった。
何十日ぶりかに見る黒い髪が、くしゃくしゃになって毛布に埋もれている。
その髪に、バーナビーは手を伸ばす。
顔など見えなくても、バーナビーにはわかる。
硬くてまっすぐで、でもパサついていないこの髪の感触は。
「…虎徹さん」
起きてくれなくてもいいと思いながら、小さな声で、バーナビーは愛しい侵入者の名前を呼んだ。




名前を、小さく呼ばれた。
水底の、泥に半分身体がめりこんだような温もりの中で、射し込んできた光の針に目を刺され、虎徹は飛び起きる。
頭を上げると同時に激痛に襲われた。
「…ぅっ……」
ゴッ、という乾いた衝撃音を耳の底に留めながら、虎徹はまた毛布の海に沈み込む。
そばで、数十日ぶりに見るクルクルの金髪頭が、同じように沈みかけている。
覗きこんでくれていたバーナビーの顔のどこかと、虎徹の額が正面衝突したらしい。
声も出ない痛さと沈黙を喉に流し込んで、虎徹はうめいた。
「だいじょぶ…か…?」
「…………はぃ…………」
長い間の後で、ずれたメガネを直しながら、バーナビーがようやく顔を上げた。
彼の右眉が赤くなっている。
「すまん」
反射的にそこを撫でてやると、「いっ」とバーナビーがまた顔をしかめる。ぶつけたてほやほやのそこは、撫でられても痛いだけだったようだ。
「あ、ごめ、」
あわてて引っ込めようとした手を、捕まえられた。
ベッドに横たわったままの虎徹に、バーナビーの半身のほとんどがのしかかってくる。
外気で冷えきった革ジャケットの腕が、毛布ごと虎徹を抱きしめた。
腕に当たる革の冷たさまでが、懐かしい。
「…どうして…こんなに早く、来てくれたんですか」
問いながら、バーナビーは腕に力を込めてくる。
その声に、非難の色はゼロだ。
無防備な私室を見られた後ろめたさなど、どこにもない。
飛び跳ねたいのをこらえる子供のような、キラキラ光るもどかしさが、そこにはただ詰まっているだけだ。
たまらなかった。
叫びたい自分の後ろめたさをこらえて、虎徹は一世一代の嘘をつく。
「…ちょっとでも早く。おまえに会いたかった」
嘘は、口に出したとたんに、真実の仮面をかぶる。
本当は、いつも、いつでも、会いたかった。
毎日、眠る前にバーナビーを抱きしめたかった。
毎朝、バーナビーの隣りで目覚めたかった。
今時の若者ですら恥ずかしくて口に出さないような、そんな新婚のような生活を、バーナビーとしてみたいと、心の底でずっと思っていた。
もしそれが叶うのなら、どんな努力もする覚悟があった。何でもするつもりだった。好きな相手と暮らす、そのめまいがしそうに幸福な生活が、今度は少しでも長く続くように───いや、今度はいつまでも続くように。
「僕も、僕も会いたかったです。ほん、とに、嬉しい…ありが」
感謝を告げようとするバーナビーの唇を、虎徹は唇できつく塞いだ。
自分の嘘が恥ずかしくて、虎徹の嘘を疑うことすら思いつかないバーナビーがまぶしくて、耐えられない。
暗い水底から見上げる水面には、正視するのもつらい光が、揺れてあふれている。
バーナビーの唇も、舌も、吐息も、しっとりと温かくて気が狂いそうだ。
言い尽くすことなど到底できない熱が、虎徹の全身に広がる。
涙だか鼻水だかわからなくなったそれが顔から流れ出すのをごまかしたくて、虎徹は両腕を伸ばして、バーナビーを抱きしめた。




虎徹に跨った姿勢から、腰を、勢いよく落とす。
「は…ッ…」
仰臥した虎徹の、大きなペニスが、ぐず、とバーナビーの後孔に挿さり、さらにそこを押し広げようとする。
挿されるその感覚に、いっそう欲が煽られて、ひくひくとバーナビーの内壁が震える。
深く突かれたくて、膝裏まで震わせながら体重をかけ、バーナビーはじりじりとペニスを奥へと誘い入れる。
は、と虎徹が息を吐いた。
虎徹の腰骨も震えているのを感じ取り、嬉しさで、バーナビーの視界がにじむ。
ぐち、ぐち、と音を立てて、そっと腰を振る。
「あッ…あッ…ンァァァ…ッ!」
少しの抵抗の後に、急に奥を広げられて、久しぶりのその深さに悲鳴を上げてしまう。
バーナビーの臀部が、ぴたりと虎徹の下腹に付いた。
虎徹のすべてが、バーナビーの後孔に収まった。
「ん……はァ、……」
天井に向けて、バーナビーは喉を反らす。
脳の、喉の、肺の、はらわたの、奥の奥まで熱い。
こんなに奥まで熱いのに、虎徹の心の奥には、手が届かない。

───本当に、この人は僕を許してくれたのだろうか。

トレーニングにかまけて、毎日の電話すら怠るようになってしまったバーナビーに、虎徹の不満は積もるだけ積もっていたことだろう。
バーナビーとの年齢差をことのほか気にしている虎徹は、ある意味逆説的に、恋人としてのバーナビーを束縛しない。年上だからと、支配的な態度をバーナビーに取ったことは一度もない。
それがとても嬉しくて、そして今となっては自分勝手に、寂しい。
支配したくないからと、必要以上に距離を取ってくれるそのさまが、バーナビーには寂しい。
心の最奥にうずくまるその寂しさは、下からの虎徹の一突きで、今だけの熱量に無理やり変換された。
「アァッ!」
白く意識が飛ぶ。
「ぅあッ、はァッ!!こて、つさ、ァッ!」
二度、三度と突かれて浮き上がり、虎徹の腰の上で弾みながら、また自身の体重を使って、バーナビーの後孔は巨大なペニスを残らず咥え込む。
自分で動いて、自分で虎徹を飲み込んで快感をコントロールするつもりだったのに、ただ翻弄されるばかりだ。
「ほし…ッ、欲しい…!もっと、ァツ、欲しい、です…ッ!」
すぐに降伏するのが恥ずかしいという意地は、圧倒的な熱量に押し流され、跡形もない。
虎徹が肘をついて、わずかに上体を起こした。
「!」
挿入される角度が変わり、バーナビーは震える。
起き上がった虎徹の両腕は、バーナビーの肩を引き寄せ、そこを抱きしめたかと思うとぐるりと横に寝返って、体勢の上下を入れ換えた。
「うン、」
ペニスが後孔から抜けかかり、バーナビーがうめくと同時に、虎徹が覆いかぶさるように、仰向けになったバーナビーの両腿をすくい上げる。
狙いを定めたそれは、すぐにバーナビーの奥を突き直した。
どう言い訳しても、淫らとしか言いようのない声が、喉からあふれる。
欲しくてたまらなかったものにようやく突かれて、安心すらわき上がる。
じっくりと味わえ、と言わんばかりに、虎徹は腰を動かすスピードを落として、やわやわとバーナビーを犯し続ける。
「…イイか?」
「は、いっ…、ア、」
「もっと欲しいか?」
「ンッ、は…ッ、はぃッ…」
「俺だけが欲しい?」
「…?え…」
「欲しいなら、もっと言ってくれ」
聞いたことのない虎徹の要求に、熱せられたはずの身体の芯が、ふと冷めかかる。
「…俺だけが欲しいって、口に出して、言ってくれよ」
どうしたんですかと、虎徹の目を覗きこみかけた時、虎徹の律動のスピードが急に増した。
「あぁ!ア、ア、ア、ア、」
切れ切れに啼かされ、バーナビーは息が吸えない。
身体の中で息をひそめていた絶頂が、いきなり胸元まで駆け上がってくる。
あと少し、というところで、バーナビーの両足を高く抱えたまま、虎徹が唐突に動きを止める。
「…言ってくれ」
擦られ足りないバーナビーの内壁が、深々と虎徹のペニスを飲み込んだまま、うねって燃える。
与えられないあと少しの快楽が欲しくて、尻をくねらせ、バーナビーはただ啼いた。
「……欲しい、です。虎徹さんだけ。虎徹さんだけが欲しッ、」
言い終わらないうちに、大きく突き込まれた。
「ンあァァァッ!!」
この身体の底に、一番欲しいのは、熱じゃないのに。
「いい、イイッ、あッ、ゥア!!」
激しい律動に、バーナビーの背中がシーツから浮き上がる。
獣の声をあげて喜びながら、バーナビーは両膝で虎徹の腰を捕らえた。
邪魔だと言いたげに虎徹はそれを引き剥がし、腰を打ちつけてくる。
何度目かの衝撃の後に、バーナビーは射精した。
後孔の締めつけに耐えかねたのか、虎徹も一瞬うめいたが、すぐに脱力したバーナビーの腿を抱え直して、律動を再開する。
「ああっ、こて、つさん、もうッ、僕、」
「まだだ」
短く切って捨てられ、絶頂の余韻も冷めないまま、突き上げられる。
全身の、脳の、すみずみまで焼けつく熱さの中で、バーナビーの意識は、ゆっくりと遠のいていった。




うとうとと眠りに落ち、すぐに目を覚ます。
シーツがぐしゃぐしゃになり、マットレスの地肌がところどころ剥き出しになっている悲惨なベッドの中で、虎徹は身じろいだ。
今の時刻はわからない。
窓の外が暗いので、明け方でないことだけはわかる。
隣りで横たわるバーナビーの裸の肩を、すっぽりと毛布で包み直してやり、虎徹は起き上がった。
起き上がってあぐらをかき、だるい腰をバリバリと掻いて、さする。
夕方の、変な時間に寝入ってしまったせいで、疲れているのに眠れない。
疑いと、あきらめと、執着と、性欲その他もろもろ。
バーナビーについて、あれこれと思いわずらっていた何種類もの感情を、解決できるあてもないまま、ただセックスにぶつけてしまい、自分がコーヒーの出がらし以下のつまらない物体になり下がった気がする。
バスルームに行ってからも彼をバスタブに這いつくばらせて、精液でぐちゃぐちゃになった孔を、後ろからまた犯して。
尻だけをかろうじて虎徹の方へと突き出し、バーナビーはバスタブの縁にぐったりとすがっていた。
すがりながらも、まだ、欲しいと悶えていた。
何度も射精して柔らかく揺れるバーナビーのペニスを、後ろから両手でつかんで包んで、扱き続けて。
扱きながらバーナビーの腰を一緒に持ち上げて、もっと深く彼の後孔に入り込むと、甘い声でうめきながら、バーナビーは虎徹のペニスを締めつけてくれた。
延々と尻に打ち込まれる衝撃に合わせて、短く何度もうめくあの声を思い出すと、またほのかに股間が熱くなってくる。
もぞもぞと自分の腿を掻き、はしたない下半身をなだめて、虎徹は毛布に埋まるバーナビーを見下ろした。

───「欲しい」って、言わせたから、言ってくれた。

欲しいというバーナビーのあの懇願は、セックスの最中の、彼のうわごとにすぎない。
しかもほとんどは、快楽と引き換えに虎徹が無理やり言わせただけのものだ。
それにひょっとすると、バーナビーは自分の発言もよく覚えていないかもしれない。最後の方はもう、彼はほとんど正気ではなかったのだ。

───なのに、好きだ。

暗い窓の外を見つめるのをやめて、うずくまるように、虎徹は目をつぶる。
バーナビーが好いてくれなくても、バーナビーが好きだ。
たとえ嫌われても、遠ざけられても、どうしても手の届かないところにバーナビーが行ってしまっても、バーナビーが好きだ。
覚えのある感覚に、虎徹は吐き気に近いものを感じてしまう。
これは、友恵がこの世界からいなくなった時に突きつけられた、あの時の感覚に近い。
近いというか、ほぼ再現だ。
手放せば楽になるのに、身体の中に居座り続ける、この「好き」は、長い年月を費やしても決して消せないことが、もう確実にわかってしまっている。
踏み込まないようあれほど気をつけていたのに、自覚もないまま、もうこんなところまで来てしまった。
バーナビーが好きだ。
この気持ちを抱えたまま、バーナビーなしで生きていくにはどうしたらいいのか。
吐き気に近い恋情は、また、覚えのありすぎるもう一つの感覚を連れてくる。

───『どんな時も、ヒーローで』。

輝いていても、沈んでいても、成功しても、失敗しても、年を取っても、誰に振り向かれなくなっても。
何もつかめず、水底の泥に汚れながら、明るい水面をただ見上げているだけの時も。
心からヒーローであれば、耐えられるかもしれない。




顔を上げると、真っ暗だった窓の外が、紫色に変わり始めていた。
ベッドであぐらをかいたまま、虎徹はその紫と、ところどころ光りながら浮かび上がってくる黒いビルの群れを見下ろし続ける。
明日…いや、今日。
今日、一日遅れでバーナビーの誕生日を力いっぱい祝って、それから。
それから、アポロンメディアを訪ねてみようと虎徹は思った。
門前払いされたら、日をおいてまたもう一回。
いや、あきれたロイズが話を聞いてくれるまで、何度でも。
バーナビーには、もちろん内緒で。
そばで眠り続けるバーナビーの髪をそっと撫で、彼が覚醒している間は決してさせてくれない頬ずりをしてやって。
バーナビーを起こさないよう、虎徹は吐息だけでささやいた。

───誕生日、おめでとう。

おまえに嘘ばかりついた昨日と今日だったけれど。
これだけは、本当だから。