月の背中



情事はまだ、三度目だった。



***



請われたから、抱いた。
マスタングの、エドワードに対する意識の基本はそれであったが、そのことを考え始めると、いつも、請われる前から彼に劣情を抱いていたもう一人の自分に、嘲笑されるような気がした。

その劣情は保護欲ではない。
征服欲だ。

愚かにも、このことに気づいたのは、最初に彼を抱いた夜だった。
あの夜、エドワードは肉体的にも精神的にも疲弊しきっていて、ふと目の端ににじんだ彼の涙を見てしまったことが、彼の羞恥の堤防を決壊させてしまったようだった。
その時のエドワードにとって、マスタングに涙を見られることは、全裸をさらすよりも恥ずかしいことであったのだろう。
自暴自棄になって愛撫を請うてくる彼が、途中で目を覚ませばいいと思って、誘いに乗った。
だが。

ミイラ取りは、本当に立派な、ミイラになってしまったのだ。




見られたから、開き直った。
エドワードの、マスタングに対する意識の基本はそれであったが、そのことを考え始めると、いつも、涙を見られる前から彼に劣情を抱いていたもう一人の自分に嘲笑されるような気がして、いたたまれなかった。
マスタングの前では出来るだけ感情の振れ幅を小さくしようと努力しているのだが、エドワードのその努力は、いつも徒労に終わる。
あの日も。
どうしても、疲れきっていることをマスタングに知られたくなかった。
司令部で報告を終えたなら、すぐに宿に帰るつもりだった。
なのに、報告書を渡した手を掴まれて。
かすかに首をかしげて、デスク越しに顔を覗き込んできた上司は、いつもに増していまいましく───親切だった。
どうした、と問うて来る声は背骨が冷えそうに優しく、唐突で。
いつも彼の周りから離れない、軽妙な揶揄の空気が、きれいさっぱり消えていて。
今まで胸の底に溜め込んでいた怒りやら動揺やら執着やらを見透かされない自信はあったが、手を握られたままでいるのはあまりに危険だとエドワードの本能が判断して、彼の手と報告書の束を振り払って執務室の戸口へ歩いたら。
捕まえられたのだ。背中から。
ドアノブに掛けていた手を背後から引き剥がされ、肩を掴まれて振り向かされたと思ったら、もう鼻先にマスタングの胸ポケットが迫っていた。
その後のことは思い出したくもない。
軍服の布地ってものは独特の匂いがする、と必死で関係ない思考を頭に浮かべていたら。

なぜか鼻がしびれて、目が濡れてしまったのだ。



***



湿った音を立てて、指が粘膜に挿し込まれる。

「う……!」
同時に、亀頭に舌を絡められ、ずっと吐声を耐えてきたエドワードの唇が、歪んで震えた。
マスタングは横たわるエドワードの腰に顔を埋め、その欲情の中心を口に含んでいる。
舌と指を同じリズムで動かされ、直接脳みそをかき回されているような、点滅するめまいを覚え、エドワードは首を振った。
刺激に耐えかねて、エドワードの手のひらがマスタングの頭を掴む。
それは行為の制止を求める合図にはならず、むしろ逆の意味になるのだということを、エドワードはまだ知らない。
あれから数えて、まだ三度目だ。
まだ子供といって差し支えない年の彼が、少々複雑なベッドマナーを解さないのは仕方がないのかもしれない。
挿し込む指を増やしながら、マスタングは顔を上げて、そこへ伸びてくるエドワードの手を取った。
重い粘液に濡れた唇で、その指の関節ひとつひとつに、口付ける。
「…今日は君を、深く欲しい」
言葉の意味がわからないのか、後口への刺激が強すぎたのか、エドワードは吐息を速くするばかりで答えない。
マスタングはそこから指を引き抜き、身体を伸ばすと、エドワードの肩を起こして、その肩甲骨をぽんと突き飛ばした。
「ふ、う…、なに……」
力の入らない身体を突然裏返されて、エドワードのうめきがシーツに埋まる。
白いシーツに視界を塞がれて、それ以外は何も見えない。
マスタングの顔も、肩も、腕も、胸元も、その欲情を象徴する肉柱も。
そそり立っているだろうその欲情が、どうやってこの身体に刺さってくるのか見えないのが、呼吸困難を起こしそうなほどに不安だ。
「やめ……う、く、」
這わされたその姿勢から、腰だけを引き据えるように持ち上げられる。
マスタングに向き直ろうとすると、後頭部を手荒くつかまれ、シーツに頭を押し付けられた。
「…………!」
とっさに鼻をかばって、そのかわりにこめかみをしたたかにベッドに沈められ、エドワードは苦悶の吐息を漏らした。
「なに、する気だ…」
「言っただろう。今日は深く欲しいと」
マスタングの手のひらがエドワードの後頭部から背中に移り、さらにそこを押し下げる。
結果、顔をベッドに埋めて這わされたまま、尻を高く上げ、天井に向けて後口をさらされるはめになった。
もう何も出来ない。
マスタングを蹴り上げることも、そのすました顔に唾をかけることも、その肩に掴みかかることも。
何も。
何一つ、抵抗出来ない。
この身体はたった今から、エドワードのものではなくなったのだ。
失神しないまま、自分の意志と身体が切り離された、冷たい精神の激震にエドワードが揺れきれないで目を見開いた、その時。

ずぶりと、後口を刺された。

「あぁぁっ!!」

冷たく揺すぶられる意識を捕まえ、分け入り、エドワードの動揺をあざ笑いながら、それはゆっくりと侵入してくる。
いまいましく、そして幸いにも、痛みはほとんどなかった。
この身体はどうなってしまったのか。
絶大な苦痛を伴いながらたった二度、男に犯されただけで、こんなに素直にその男の欲情の的になることが出来るとは。
痛みのないことに驚愕しているエドワードの意志とは裏腹に、後口は抵抗もなく、深呼吸でもするように滑らかにマスタングの肉柱を受け入れてゆく。
腰を固定しているマスタングの腕を振り払おうと、エドワードは左手を伸ばしたが、それはシーツと宙を掻くばかりだ。
マスタングが、長くひそやかに息を吐く。
背後遠くから聞こえてくるそれは、満足感からなのか、衝動を煽られているからなのか。エドワードにはもう定かでない。
ぎっちりと、肉柱は後口を満たしながら進む。
隆々とその太さを誇示しながら、ついに、ひたりとマスタングの腰がエドワードの臀部に吸い付き、エドワードは、太いそれが全て、自分の身体の中に納まったことを悟った。
それでも足りないのか、マスタングはエドワードの尻をわし掴み、さらにその肉を広げて、小刻みに腰を揺らしながら、自らの欲望を奥へとねじ込もうとしている。
内臓を細かく掻かれるようなその動きは、ちゅ、と湿った音を繰り返し立てて、エドワードを苛んだ。
「あ、あ、あっ……」
肉柱の太さと熱さに、そのまま喉を突かれているようだ。
シーツの上で顔を横に向けて、エドワードは喘いだ。
喘ぎに呼応しているのか、びく、と後口の中でマスタングの欲情が質量を増す。
「あっ…っ…」
何かに恐れをなしたのか、質量を増したそれは、急にぬるりと逆進する。
しかしそれは後口を完全に出てゆかず、亀頭の形を繊細に内壁に伝えながら、もう一度、恐ろしいスピードで最奥を目指して、打ち込まれた。
「あぁっっ!!!」
水を打つような音を立てて、エドワードの腰が鳴った。
その音を合図に、マスタングの欲情が、突如、雪崩をうって暴れ始める。
それはエドワードの後口をかき回し、うねり、叩きつけられ。
休みなくエドワードの中を支配し、もっとその体内の奥底にまで食い付こうと、愉悦の唾液にまみれながら牙をむいてくる。
淫靡な牙から逃れようとしても、全ては無駄だった.
リズミカルに腰を打ち付けられ、意識の底の底まで揺すぶられて、エドワードの自我は限りなく薄くなる。
マスタングの欲情に、喉を突かれ、臓腑を突かれ。
あられもない声を発するこの唇をつぐむ、そんな簡単なことも出来ない。
無色に近くなった自我の中から、凍りつきそうにおぞましく、舌も焼けそうに甘い何かが、鎌首を持ち上げる。

あろうことか。
薄くなった自我は、淫靡なその牙に自ら抱かれようとしているらしい。

ふっ、と前歯の間からすばやく吐息を漏らして、マスタングがひときわ大きく腰をくねらせた。
水音が、繋がっているそこから弾ける。
「あぁ────ッ!!!」
一撃をエドワードに与え、マスタングは静止した。
まだその欲を遂げたわけではない。
奥深くエドワードに分け入ったまま、それはまだ張り詰めきり、しんしんと狭苦しい内壁に熱を染みとおらせてゆく。
「慣れたものじゃないか」
吐息混じりの声が、エドワードの背中から数センチのところでこぼれる。
ほどなく首筋を背後から甘噛みされて、エドワードはシーツに爪を立てた。
「私には、この体勢は新鮮なんだがね。でも君は、誰かにいつも後ろから、してもらっているのか?」
暴力的なまでに低いささやきをエドワードの耳に突き刺しながら、マスタングの手はエドワードの胸元に回り、赤く沈む胸の突起を、親指の腹でぎゅうと潰しにかかる。
「深く欲しいと思っているのは、私だけか?」
エドワードのため息が、細く長く尾を引いた。
「質問に答えたまえ」
ベッドの上方へ逃れようとするエドワードの肩をぐっと引き戻し、マスタングは繋がるそこが外れないように固定する。
くっ、と喉を潰したような息を吐いて、エドワードは唇をわななかせ、きしむ両肘をようやっとベッドに立てて、頭を起こした。
「…い、……よ…」
「なんだと?」
「…うるさい、よ。あんた。黙っ…て…、やれ」
解けた長い金髪のとばりを透かして、罵倒は切れ切れだ。
一呼吸おいて。
ほとんど閉じた唇から、軽快に喉を絞る笑い声を噴き出して、マスタングは不安定な姿勢にもかかわらず、器用に自らの前髪をかき上げた。
「わかった」




これを、快感というのなら。
恐ろしく凄惨なものだ、と、エドワードは思った。
「思って」いるのかも、実は定かでなかったが。
理路整然とした意識は砕け散った。
失神により近い、この朦朧とした感覚は、貧血症状に似ている。
だが、やや下方からすくい上げるように身体の奥を肉柱で突かれ、吐き気すらしてきても、どこか、その吐き気は甘いのだ。
甘い煙のようにそれはエドワードの喉の奥に沁み、ますます意識を遠のかせる。

───死んじまったほうが、いいんじゃないか。

これを、不愉快でないと感じている自分は、人知を超えた恥知らずだ。

マスタングは時折、律動を止め、エドワードの前を握りながら後口をかき回す。
その、なぶるようなゆっくりとした動きにいたたまれず、エドワードは声を上げ続けた。
奥深いそこを、ゆるゆると何度も擦られ、そのもどかしさに耐えられず、ぎゅっと閉じた目の奥までが痛む。
「うう……っ、ふぅ…う…」
限界の一歩手前で、突然、どん、と強く突かれた。
掛け値なしの悲鳴が上がる。
前をマスタングに押さえ込まれ、とうに昇り詰めているはずのそれは、精を吐き出せずに、窮屈に焼けついている。
「やめ……や、めて」
さらに一歩、意識が遠のく。
「やめて、…い、かせて」
もうエドワードには自分が何者なのか、わからない。
「もう、も…う、………い、」
懇願を恥と思う人格は霧散した。
「いかせて…ぇ…いかせてーーー!!」

叫びが、届かなかったはずはない。
だが、エドワードを押さえ込む指の力とは対照的に、マスタングの動きは緩慢なままだ。
ぬる、と、腫れた内壁を無駄なく舐め尽くしながら、それはエドワードから出て行こうとさえする。
「う…ふ………た、…いさ!」
口の奥で唾液を噛むエドワードの耳に、小さな、しかし艶を含んだ声が返る。
「どうした?黙っていろと言ったのは、君だろう?」
ちく、と水音がしたたる。
エドワードの腰が揺れて、引き抜かれつつあるそれを追ったのだ。
「やれやれ。行儀の悪い子だな」
ちくちくと粘膜を揺らして、マスタングはまた腰を引いた。
「……っ…ぁ……」
「欲しいものがある時は、最初に言葉でお願いするのが、礼儀だろう?」
今にも肉柱は、後口から抜け落ちそうだ。
「…だ…めだ…」
「何が、だめなんだ?」
粘膜のごく浅いところを、絶妙にバランスを取りながら、それは軽くエドワードを擦る。
「あ、ああっ…だめ、抜かな…、」
「それが、人にものを頼む態度かね?」
血色の増したエドワードの背中は、汗の膜をまとい、骨を含んだ関節の曲線が、時おり白く閃光を放つのが、それを引き裂きたいほどに悩ましい。
背中の果ての金糸が、苦悶の吐息と共に、震えた。
「頼むから……お、願い…」

その、ありえない声色は、マスタングの最奥に埋められていた欲望に、衝動を点火した。

「入れて……いかせ、て……」

正直なところ。
我慢はもう辛い。

「…早く、…い、れ、」

マスタングはエドワードの揺れる腰をわし掴んだ。

既に腫れ上がっている、愛しいそこに、未だ巨大な欲情を、勢いをつけてねじ込んだ。

「ああ、はぁぁあーーーーッ!!!」

エドワードは声高く愉悦を叫ぶ。
獣が、遠吠えるように。
四つ足で這い、顎を高く天に向けて。

揺すぶられる度に、いつのまにか解放されたエドワードの前から、熱いしぶきがほとばしった。
かまわず続くマスタングの律動を、打ち込まれる肉柱を逃すまいと、エドワードは四肢に最後の力を込める。
きつすぎる後口の圧迫感が、甘く甘く、足の速いマグマのように焼け広がるのを、愉悦を叫びながら迎え、取り込む。
水音は高く、何度も何度も弾け。

最後の衝撃は、エドワードの喉の底を突いた。




脱力して、ベッドに沈みかける小さな身体を、背後からすくい上げるように、抱きとめて。
自分の速い息が治まるのを、マスタングは待った。
エドワードの、薄く開いたまぶたからのぞく金色は、とろけて何も映していない。
そっとそのまま横たえて、剥がしたシーツで応急処置的に身体を拭ってやった。
エドワードの正気が完全に戻る前にこういう作業を済ませておかないと、正気が戻ってからの彼は、決して後始末らしきことをマスタングにさせてはくれない。
先日も、その前も、余韻に浸ることもなくマスタングの身体を押し退け、「自分で拭くからどいてくれ」などという情緒もへったくれもないセリフを残してくるりと情事の相手に背を向け、黙々と清拭作業に没頭していたのだ。
その、必要以上にそっけない態度が、彼の照れ隠しの一種であるということがわからないほどマスタングは鈍くなかったが、自分の趣味としてはやはりもう少し情緒が欲しいところだ。

───ここまで身体を委ねてくれたのだから、最後まで気持ちよく奉仕させてくれたっていいだろう。

事後のもろもろの作業は、自分がどのくらいエドワードに快楽を与えられたか、確かめる作業でもあるのだ。
出来ることなら一緒にシャワーを浴びて、彼の身体の中まで綺麗にしてやりたいと思っているが、先日は、ようやくベッドから立ち上がった彼の後を追おうとしたら、ついて来るなと鋼の足で蹴りを入れられてしまった。

つい先ほどまで、あんなにマスタングの腕の中で嬌声を上げておきながら。

感じてくれていたその事実を、認めたがらないエドワード本人に懇切丁寧に説明して、快感を享受する羞恥を薄めてやりたいとマスタングは切に願うが、まだ不安定なこの関係の中でそんなことをすれば、機械鎧で刺殺されかねない。

───恥じているところを、見せたくないというのはわかるが。

鋼の。
意地を張られると、私は張り合いたくなってしまうタチなんだ。

どうしようもないミイラは、エドワードに気づかれないように非常に苦労しながら、まだ少し速い息の中、小さく唾を飲んだ。
後背位がいろいろな意味でこたえたのか、今日のエドワードは、まだぐったりと横たわったままだ。
今日こそは、最後まで素直でいて欲しい。
その思いの実現性が極めて低いことを、マスタングは諦め気味に自覚していたが、つい何ヶ月か前までは被後見人というだけだった傍らの少年の、肉体的にも精神的にも最も柔らかい一部分をこじ開けてしまった高揚は、さしものマスタングからも、的確な状況判断能力を少々そいでしまった。
やや暴走気味に抱いてしまった傍らの白く輝く背中を抱き寄せようと、マスタングがベッドに肘をついたその時。

振り向きざまに、目にも留まらぬ速さで繰り出された機械鎧のこぶしが、汗ばんだマスタングの頬の上で冷たく炸裂した。




刺殺されなかっただけ、随分ましだったかもしれない。
痛みで視界がぶれる中、コップの水からようやく練成した氷をタオルで包み、頬に当てながら、マスタングは中途半端にシーツを剥がしたベッドの上に、シャツをはおった半裸の格好のまま、だらしなく身体を投げ出した。

───でも、わかっている。

彼の右ストレートの威力は、本当は、こんなものではない。
彼は今頃、要らぬ手加減をしてしまった己を悔やんでいることだろう。
その悔やむ姿までがいとおしくて、いとおしさは心臓を飛び越し、内臓全てがむずがゆい。
耐えかねてマスタングが寝返りをうつと、冷ややかに持続する疼痛が、歯茎の隅々まで沁みた。
寝転がったまま、手持ち無沙汰に指先でベッドのそばのカーテンをいじると、闇の中で、月光がその布地を白く濡らした。
頬の疼痛は、目にまで沁み入りそうな勢いだ。
カーテンを開けて、月を探す気力も湧かない。
夜はまだ始まったばかりである。

いつになったら、彼は朝までここで過ごしてくれるのだろう?




夜空に浮かぶ月は、球体でありながら、いつも同じ面しかこちらに向けていないという。
普段どうしても見られないものを見たいと思うのは、人として至極まっとうな好奇心ではあるが。

月に見放されたほの暗い闇に浸りながら、マスタングは苦笑う。
腫れた頬は、まだ熱い。


───それでも、逃がさない。


月の背中を見ることが、当分、先になったとしても。