聖夜のあとに



アパートに帰ったら、ドアを開けて、彼を捕まえて、すぐに抱きしめるつもりだった。
もうずいぶんと見慣れたミュンヘンの駅に降り立って、アルフォンスは一呼吸もおかずに改札口へと駆け出した。
一週間分の着替え、もとい洗濯物を詰めたカバンはもちろん軽くはなかったが、自分の意志ではどうにもならない列車のスピードにいらだっていたアルフォンスは、走り出さずにはいられなかったのだ。
一面砂糖をまぶしたように、街並みは雪で白い。
クリスマスの帰省を終えて、祖父の住むウィーンを発ち、アルフォンスが飛び乗ったミュンヘン行きの列車は、雪で一時間も到着が遅れた。
夕食にはまだ早いが、凍てつく冬の日は悲しいほどに短い。
もう空は暗く、ぽつりぽつりと街灯が、闇に沈みかけた路面の雪を照らす。
日のあるうちにアパートに帰りつきたかったアルフォンスの願いは、雪と無責任な鉄道会社によって簡単に粉砕され、めまいに近い焦りで頭がくらくらする。
たぶん、帰宅が一時間遅れた程度であのエドワードはなんとも思わないだろうし、この焦りが自分サイドの一方的なものだということは十分承知している。だが、そんな物悲しい予想をも彼方に吹き飛ばす勢いで、アルフォンスは焦っていた。
早く帰りたい。
早く帰って、エドワードの顔を見たい。




ほんの、一週間前。

───じゃあ、十日ほどで帰りますから。

これから出かけるというのに、しかもエドワードと暮らし始めてからこんなに長期間、アルフォンスが家を空けることなどまるでなかったというのに、ドア前までも見送りに来てくれないエドワードの淡白さが少々悲しくて、振り向いて、キッチンに突っ立っている彼に未練がましく宣言してみた、あの時。
声に振り向いてくれたエドワードは、先程までの仏頂面を、なんとも微妙なバランスで崩していた。
彼のその表情は、傍目には単なる仏頂面でしかなかった。
だが、日々ベッドを共にするわけではないものの、エドワードは毎日毎日、アルフォンスの半径5メートル以内で起床し食事を済ませ研究に没頭し、シャワーを浴びては二人の共用スペースであるキッチンで、アルフォンス以外にはほぼ誰にも見せない、あられもないだらしなさで夜をくつろぐという生活を半年近く続けており、この半年間、アルフォンスはエドワードの非常にわかりづらい感情表現を怒涛の勢いで学習してきたのだ。
普段はぽんぽんと思ったことをすぐ口にし、弱者に優しく強者には遠慮なく噛みつく豪気な彼が、本当は実に屈折した感情表現しか身につけていないということにアルフォンスが気づいたのは、彼と一つ屋根の下で暮らし始めて間もなくだった。
エドワードの感情表現の稚拙さは、まったくもって手のつけようがない。
身体がどこか痛ければ、いっそうの平静を装い。
叫ばずにはいられないような悪夢から覚めた後には「大丈夫だ」と微笑んでみせ。
アルフォンスが恋情から口付ければ、眉間にしわを寄せて身体を押し返そうとする。
あなたが嫌ならキスは止めます、と悲壮な決意でアルフォンスが告げれば、たっぷり3分も沈黙した後、「嫌じゃない」と消え入りそうな低音でつぶやいて来たりするのだ。
だから。
日々、「対エドワード試練」にさらされているアルフォンスには、よくわかったのだった。
たった今、仏頂面でのろのろとこちらを振り向いたエドワードが、何か恐ろしく複雑な感情を抱えているらしい、ということが。
寄せた眉をエドワードは解かないが、その唇はゆっくりと固められたり半分開かれたりまた引き結ばれたりと、頻繁に形状を変えている。
「…あの。じゃあ、行って来ます」
なぜか、こうしてエドワードを呼び止めてしまったことに根拠のない罪悪感まで湧いて出て、アルフォンスは落ち着きなく出がけの挨拶をもう一度繰り返した。
「……………ああ」
数秒ほども沈黙した後のエドワードの返答は、地を這う低音だ。
その低音に、アルフォンスはまた胸を塞がれる。
行って来ます行って来ますって何度も繰り返して、本当は行きたくないのがみえみえで、エドワードさんを残して行くのも十日間会えないのも本当はもうわめき散らしたいぐらい寂しくて心配で、でもやっぱり年に一度のことだから帰省しないわけにはいかなくて、そんな僕の気持ちがあまりにも見えすぎて、エドワードさんは僕がうっとうしくて仕方ないんじゃないだろうか。
嫌じゃない、とキスだけは許してもらってるものの、それはエドワードさんが僕を少しでも好きということじゃなくて、僕と同居している手前、拒否したらここにいづらくなるから我慢してるだけ、ということなんじゃないだろうか。
数々の悲惨な推測をアルフォンスがぐるぐると胸の内でめぐらせている隙に、エドワードは複雑な表情のままでゆっくり、こちらに歩み寄って来る。
エドワードのその行動が嬉しくて怖くて、アルフォンスは足元に置いた旅行カバンを持ち上げることも出来ず棒立ちになる。
腕を伸ばせば十分届く位置でエドワードは立ち止まり、これまた何か悲惨な表情でアルフォンスを真正面から見上げて来る。

──ばかやろうぐずぐずするな。
──とっとと行けよ。
──子ども扱いすんな。留守番ぐらいできる。

とっさにアルフォンスの頭に浮かんだエドワードの次のセリフは、そのどれもが本当に真に迫っていて、ますますアルフォンスの胸を後悔と絶望で埋め尽くした。
が。
立ち止まったはずのエドワードはまた歩を踏み出し、みるみるうちに彼の黄金の瞳が目の前に迫って来る。
だめだ。
だめだそれ以上こっちに来たらぶつかるでしょう、その前にそんなに接近されたら僕はあなたを突き飛ばしていいのか抱き寄せていいのかわからなくなってしまってでも結局僕はあなたの肩に手をかけてしまうことを止められなくてまたあなたに嫌われて。
嬉しいはずの気持ちが猛烈な動揺に焼き尽くされてしまい、アルフォンスの脳内は冷ややかなパニックに陥った。
冷凍パニックの中、エドワードは思い詰めた表情でアルフォンスの両の肘を握りしめて来る。
そして黄金の虹彩が、悲鳴を上げたいほどの至近距離まで───ほんの、鼻先まで───近づいて来て、それが彼のまぶたに隠されて、その直後。
唇で、何かが、湿って、弾けた。
気圧されて目も閉じられないまま、アルフォンスは呆然とする。
その湿って弾けた感触が、エドワードからのキスだったのだと認識した時にはもう、エドワードはアルフォンスの胸元でうつむいてしまっていた。
ぽん、とアルフォンスの胸板を、彼の義手が平手で押し返して来る。
「…………行けよ。早く」
ここでドアを開けてスタスタと去ってしまえる人間が、この世に何人いるだろうか。
あまりのことに身体が動かず、アルフォンスは、自らの顎の真下でうずくまっているエドワードの金色のつむじを見下ろすのが精一杯だ。
見下ろすために動かした、眼球に連なる微細な筋肉までが、パニックによってかちかちに冷凍されて、目の中でしくしくと痛みを広げているような気さえする。
「エ、エドワー…ドさ、」
通常の50倍は濃縮されたアルフォンスの吐息と声を振り切るように、エドワードは顔を伏せたまま、アルフォンスに背を向けようとする。
「待って…!」
もう殴り飛ばされたっていい。
ここでエドワードを捕まえなければ、これからの十日間は、阿鼻叫喚の煉獄修行になってしまう。
冷たい硬直を気力で解いて、アルフォンスはキッチンに戻りかけていたエドワードの二の腕を掴んで引き寄せ、踏みとどまろうとする彼を引きずるように胸元に収めた。
「おまっ、ちょっと、時間、ねーんだろうがっ」
「どうでもいいです。汽車の一本や二本」
「どうでもいいって、おま………ぁ、んん…う、ううっ……」
抗議のために顔を上げたエドワードの唇は無慈悲に塞がれ、呼吸困難に耐えられなくなったエドワードが本気でアルフォンスの脇腹をつねり上げるまで、アルフォンスは腕の中の想い人を、骨折させかねない勢いで抱きしめ続け、列車を一本逃したのだった。




ミュンヘン駅からアパートまでは、近くて遠い。
普通に歩いて15分はかかるその中途半端な距離を、アルフォンスはほぼ休まずに駆け抜けた。
あのめくるめくキスの続きが、すぐに出来るとは思っていない。
一週間前、呼吸困難にさせてしまったエドワードはあの時すっかりヘソを曲げてしまい、アルフォンスがドアを閉めて出立するまでとうとう、笑顔を見せてくれなかったのだ。

───さっさと行っちまえ!もう知らねぇ!!

アルフォンスの腕からやっと逃れて転がるようにキッチンの入り口まで退避して、こちらに尻を向けたままのエドワードの捨てゼリフをこの一週間、何度脳内で反芻したことだろう。
いまさら後悔しても始まらない。
「一週間も」時間が経ったのだ。
いつも通り、普通の態度で、落ち着いて、「ただいま」と言ってドアを開ければ良いのだ。
あの気の短いエドワードが、延々と一週間、あんなことで怒り続けているわけがない。
頼りないその予想…いや、希望にすがりながら、アルフォンスは走り疲れた身体でよろよろと角を曲がり、いつものグレイシアの花屋の看板が遠くに見えたところで、息を整えるために走行速度を大幅に落とした。
そんなにしてまでたどり着いたというのに。
大晦日の店じまいに余念のないグレイシアへの挨拶もそこそこに、やっと踏み込んだアパートの部屋は、静まり返っていた。
明かりがついていないことはもちろん、しん、と室内の空気は冷え切っていて、少なくとも数時間単位でこの室内に人間が存在していなかったことを証明していた。
壁面のスイッチに手を伸ばしてキッチンの明かりを点け、冷え切って動かない空気の中で、アルフォンスは立ち尽くす。
気が抜けて、自室にカバンを置きに行くのもおっくうだった。




小さなストーブに火を入れ、妙に気力を消費しながら旅行カバンを自室に放り込み、念のためにエドワードの部屋をのぞいてそこがやはり無人であるのを確認して、アルフォンスはキッチンの椅子にどっさりと腰を下ろした。
エドワードはどこへ行ったのだろう。
年明けまでは研究室の面々も休暇を取っている。
今日は大晦日で図書館は休館、買い物に行こうにもほとんどの店は半日ほどで閉店してしまう。
こんな時間帯に───午後四時過ぎに───夕食を食べに出る、というのも早すぎる。
なんにせよ、全面的に期待はしていなかったとはいえ、帰宅を待っていてもらえなかった小さな事実は、アルフォンスを思いのほか落ち込ませた。

───今日、三時には帰るって、電話しておいたのに。

期待していない、していないと自衛のつもりで自分にずっと、言い聞かせてきたけれども。
やはりエドワードは、生理的に、どうしても、弟に似ている自分を、恋の相手にすることが出来ないのかもしれない。
アルフォンスは、ダイニングテーブルに深々と頬杖をついた。
弟に似ている、と言う前にアルフォンスは男で、同性への愛情を禁じる神の存在をとりあえず信じていて、この奇妙な恋は、アルフォンスにもエドワードにも輝くような未来をもたらしてくれる保証などまったくない、というわかりきった事実に則して考えれば、エドワードの拒絶反応は実に正しい。
アルフォンスが正直な意思表示さえしなければ、エドワードはアルフォンスに戸惑うことも、気を遣うこともなく、普通の友人として、のびのびこの部屋で暮らして行けたはずなのだ。
辛いが、潮時なのかもしれない。
頬杖をついていた両手で、アルフォンスは顔を覆った。
エドワードを追い出すことは出来ない。
ならば、自分がこの家を出て行くしかない。
もう耐えられないのだ。
もう、エドワードのどこがどう好きなのか、自分自身に向けても理路整然と説明出来ない。
ただ苦しい。
エドワードを見ていることが、エドワードの姿を見られないことが、彼に触れられないことが、ただ苦しい。
待っていてもらえなかった、こんな小さな出来事で、こんなに苦しくてたまらない。
一週間前のあの、エドワードからの初めてのキスは、いったいなんだったのだろう。
覆った手のひらの奥で、アルフォンスは閉じたまぶたに力を込めた。
寂しがってくれていると、思ったから。
エドワードが自分の不在を寂しがってくれていると思ったから。
それに。
街が賑やかになるこの季節、身寄りのないエドワードに、それ以上寂しい思いをさせたくなかったから。
だから、十日の予定だった帰省の期間を一週間にして、祖父に渋い顔をされながら、年明けも待たずに帰って来た。
いや。予定を変更した本当の、一番の理由は、アルフォンスがエドワードと離れていることに耐えられなかったからなのだが。
そうなのだ。
アルフォンスが「帰る」ところは、もはやウィーンではなく、エドワードと暮らす、このミュンヘンのアパートなのだ。
けれど、エドワードがアルフォンスをどうしても受け入れられないなら、仕方がない。
本当に、潮時なのだ。
頬杖を解き、アルフォンスが目を開けた時。
玄関のドアが、高く音を立てた。
座ったままアルフォンスが振り向くと、心なしか青白い顔色のエドワードが、いつものコート姿で戸口に立っていた。
なぜか彼は肩で息をしていて、驚いたふうに目をみはっている。
その風情は、当局に追われる逃亡者が、苦し紛れに駆け込んで来たかのようだった。
「…………おかえりなさい」
とっさに言葉が出て来なくて、アルフォンスは自分が言われるはずだった言葉をエドワードにかけるしかなかった。
「…あ、ああ。た、だいま」
エドワードはなぜか、まだ困惑している。
「帰って。来てたのか」
アルフォンスへの確認とも、独り言ともつかない言葉を、エドワードは立ち止まってぼんやり噛みしめている。
「ええ。一時間も列車が遅れたんで。エドワードさんが出掛けてくれていて、ちょうど、よかったです」
つい数秒前までこの状況を人生の終わりとばかりに嘆いていたくせに、エドワードの前でならよくもまあぽんぽんと心にもない言葉が出るものだ、と、アルフォンスは自らの無駄な機転を内心で嘆きながら、椅子から立ち上がった。
それにしても、エドワードの様子はおかしい。
近づいてみると、いっそう顔色が悪いのがよくわかる。
こんな中途半端な時間に、しかも散策には向かないこの寒さの中、全くの手ぶらでどこに行っていたのだろう。
「エドワードさん。顔色がよくないです。大丈夫ですか?何か、あったんですか?」
一週間前にアルフォンスがしばしの別れを告げた時と全く同じ場所で───キッチンの入り口で、エドワードは立ち尽くしている。
アルフォンスはエドワードに向けてもう数歩、踏み出した。

───ああ、また。

また僕はやってしまっている。
こうして正面から問い詰めたら、エドワードさんは絶対に本当のことを言ってくれないのに。
こうして真正面から近づいたら、エドワードさんは絶対に僕を警戒して、具合が悪くても熱さえ計らせてくれないのに。
「なんも、ねぇよ。…外を。ちょっと、うろついてたから。寒いだけだ」
違う。何か、あったんだ。
透き通るようなエドワードの顔色の悪さがたまらなくて、アルフォンスはエドワードの額に手を伸ばした。
予想通り、びくりと後方へあとずさろうとする彼の腕を、もう片手で捕まえる。
接触を拒絶されるのはわかりきっているが、エドワードの健康には代えられない。
触れた額は、痺れるほどに冷たかった。
「エドワードさん!?」
これは普通の、冷たさではない。
氷のようなエドワードの額に動転して、アルフォンスは自戒も忘れて、エドワードの両肩を捕まえた。
エドワードはいったい何時間、屋外をさまよっていたのか。
「なんでこんなに…冷たいんですか…?」
わかってはいても、問い詰めてしまう。
問い詰めてしまう語尾が震えて、涙が喉から湧いてきそうだ。
「何があったのか…知りませんが。無茶はやめてください」
抱きしめると、エドワードのコートに沁み込んだ冷気が、ぎりぎりとアルフォンスの腕全体をきしませた。

───そんなに、僕と顔を合わせるのが嫌だったの?

エドワードは、アルフォンスを家で待っているのが嫌で、ずっと外にいたのかもしれない。
そう考えると、たまらなかった。
冷え切った身体がよく動かないのか、エドワードは暴れることもなく、アルフォンスにされるがままになっている。
こんなに冷えては、義肢を着けた手足はどれほど痛むことだろう。
「すぐお湯を張ります。…あ。ボイラーの具合がわからないんで、時間がかかるかもしれませんが」
もう今すぐ、エドワードを、悩みと寒さから解放してやりたい。
「僕がいたら落ち着かないのなら…僕は自分の部屋にいますから。キッチンのストーブも点けておきます。お風呂で温まったら、キッチンに来てください」
とりあえず、現在の自分に出来ることを全てエドワードに提示して、アルフォンスは腕の力を緩めて、エドワードをキッチン奥のストーブの前に押しやろうとした。
だがエドワードはその場から動かない。
動かないどころか、アルフォンスのシャツの胸元を、生身の手のひらでぎゅうと握りしめて来る。
「おまえがいたら落ち着かない、って、なんだよ」
冷え切っているはずの瞳の黄金が、ぎろりとアルフォンスをにらみ上げて来る。
「いつオレが、おまえにそんなこと言った?」
なじられているのに、意識の奥底のいちばん端が、温かく緩むのは、どうしてなのだろう。
アルフォンスは息を飲んだ。
「だって…僕を待ってるのが嫌で…外にいたんじゃないんですか…?」
「バカ!いいかげんにしろ、何でオレがそんな理由でこんな雪ん中、出て行かなくちゃいけねーんだよ」
「なら…なんで」
アルフォンスが問い返したその時の。
その、エドワードの顔を、向こう20年は忘れないだろうと、唐突にアルフォンスは確信した。
エドワードはただ、困っていた。
今にも泣き出しそうに。
今にもかんしゃくを起こしそうに、困っていたのだ。
他人の不幸を喜ぶなどあってはならないことだが、今までの人生で、人が困っているさまが、こんなに愛らしいと思ったことはなかった。
こみ上げる熱を、アルフォンスは目をすがめて耐える。
困って、困り抜いて、エドワードはうつむき、アルフォンスの胸板に向けてぼそぼそと声を漏らした。
「駅に行ったら。おまえ、なかなか帰って来なくて。列車が着いても、おまえ、見当たらなくて」
エドワードが何を言っているのかはわかる。
だが、エドワードがどういう意図でその行動に至ったのか推測するのがとても恐ろしい。
「待ってても、もう、ウィーン経由の列車はあれが最終だっていうから。帰って来る途中で…おまえ、何かあったんじゃないかって」
本当に、エドワードは何を言っているのだろう。
エドワードの声で語られるエドワードの言葉が、あまりにも非現実的で、アルフォンスはどうしていいかわからない。
まさか。
待っていた、と。
アルフォンスの帰りを、わざわざ駅まで行って、待っていてくれたと、このエドワードは言っているのだろうか。
彼の言い分を要約すると。
エドワードは、寒いミュンヘン駅で、遅れた列車に一時間も待ちぼうけを食わされ、そのうえにアルフォンスとすれ違ったのだ。
周囲をうかがう余裕もなく、列車を降りて走り出してしまったアルフォンスを、エドワードは見つけることが出来なかった、と、どうやら、そういうことらしい。
アルフォンスはもう一度エドワードを抱きしめた。
早くエドワードの身体を温めてやらなければならないが、その前に、どうしても、エドワードに尋ねたい。
今どうしても知りたいことを、この人に尋ねてはいけないのだけれど。
尋ねても、この素直でない人は、絶対に肯定の返事をくれないのだけれど。
だがアルフォンスのその自戒は、もうとっくに限界を超え、きらびやかに蒸発してしまっていた。

「僕を…待っててくれたんですか?」

返事をしないエドワードを、これでもかと抱きしめる。
肺を埋め尽くす幸福が苦しくて、アルフォンスが震える息を吐いた時、腕の中のエドワードの頭が、こくりと小さく揺れた。
その頭を強引に支えてその頬を両の手で覆い、アルフォンスはエドワードの顔をこちらに向けさせる。

キスを。
これからも僕は、この人にキスをしてもいいのだろうか。

金の瞳は、この腕の中で温度を取り戻し始めている。
残り少ない吐息で、アルフォンスは言いたくてたまらなかった言葉を、やっと唇に乗せた。
「ただいま。エドワードさん」